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沖縄本島北部 与那覇岳の山奥に | 突然響き渡った リュウキュウアカショウビンの鳴き声 ヒュルルルルルル‥‥ それは これまで聴いたどんな音とも違っていた オーケストラの楽器や様々な民族楽器 鐘や鈴や いや 慣れ親しんだ波の音 せせらぎ 風の音とも ヒュルルルルルル‥‥ 時が止まってしまったような どこかへ連れ去られたような 夢のような 不思議な感覚 ふと我にかえる ヒュルルルルルル‥‥ 夢ではないのか‥‥ ヒュルルルルルル‥‥ すべてを飲み尽くすかのようなその音 どこかへといざなう懐かしいその響き どこへ? 遠い昔 生まれるその前の 遥か未来 浮き世離れたその先の 魂の古巣へ‥‥ カナイ笛の「カナイ」は、郷土沖縄のニライ・カナイ信仰の「カナイ」、願いが叶う「叶い」笛、母親が吹く「家内」笛の意味を掛けています。構造的には、琉球の笛(元祖は中国の明笛)をベースに、指穴の数や位置・運指法その他にも独自の工夫を凝らしてありますが、従来の笛との決定的な違いは、竹笛の究極のひびきを突き止めたところにあると考えています。具体的には、倍音をコントロールし、一音の音色にゆらぎを与えることができることです。(私の知る限り従来の楽器では不可能です。)つまり、物理的響きとしてのカナイ笛の命は、「音色のゆらぎ」、書で言えば線の濃淡の変化、あるいは郷土の海の透明な青のグラデーション的変化、またプリズムを通った白光の七色への変化やオーロラのゆらぎ、そのような趣が表現できることでしょう。(なんとなくという風にではなく‥‥。)この独自の演奏技術は、個人レッスンでは中・上級コースの課題となりますが、カナイ笛以外の(従来の)笛でこの技術を修得することはできません。「音色のゆらぎ」を生み出すには、それが演奏可能な笛とそれを引き出す技術の両方が必要とされるからです。新たな表現技法と言えるでしょう。この技術を修得すれば、結果的に横笛ならどのタイプの笛でもその最高の音色が引き出せるようになるはずです。鈴木慎一氏のご著書からも貴重なヒントをいただきました‥‥。 さて、カナイ笛の心得(理念)は、「一音帰巣(いちおんきそう)」となりますが、良忍が阿弥陀如来から直接伝授されたとされる教えにあやかり、次のようにまとめてみました。「一音一切音 一切音一音 一曲一切曲 一切曲一曲 十界一念 心即音 一念三千 音即神 一音帰巣」 曲は一音の連なりに他なりません、一音をどう観るかが決定的に重要なことだと考えます。自然の無私のひびきは、「全生涯にも匹敵する一音」、いやそれ以上の音と言えるでしょう。私は森の中で聴いたアカショウビンの鳴き声を通してそのことに思い至りましたが、「音の神秘」に触れること・染まることは、音を探求する者には不可欠な事と思います‥‥。 「笛とは何か?笛を吹くとは?」現時点での私の思いは例えば次の如くです。 「カナイ笛 古巣に帰る 渡し舟」 「笛吹けば 即ち消ゆる 浮世かな」 「宇宙はひとつの聖なる音で創られた」とも言われます。はじめに「音(ひびき)」ありき‥‥。静寂からひとつの響きが生まれることは、何かが産み出され世界にある作用を及ぼすことです。その作用により、世界はある方向を与えられます。一音といえども、核以上の力を内に秘めています。(核によって人の心を変えることはできません。)ペンは剣よりも強し、です。そして、音はペンよりも強いと信じるものです。 ともあれ、願わくは、決して他と競う為にではなく、すべての存在と響き合い、心の古巣に帰るべく、あるがままに、笛を吹く‥‥。 「カナイ笛 古巣に憩ふ 夢心」 これが、カナイ笛の心(精神)です。 |