ほろびずの笛とは





砂浜に打ち寄せられた一本の竹 あなたは
どこの山に生まれ育ち 倒れまた折れて
どこの川を流れて海へ到り 波に揺られ
この浜にたどりついたのでしょう

あなたの生涯の物語を
お聞かせ願えないでしょうか?

いいでしょう それなら
私に穴をあけ 笛に仕立ててごらんなさい
そして そっと吹いてみるのです 無心に
そしたら 私が誰なのかきっとわかります‥‥

あなたはその時
私をこう呼ぶかも知れません
ほろびずの笛‥‥


 山で枯れた竹は、折れて地に伏し、あるものは山から川へ、あるいはまた海へと運ばれます。それは、竹が存在し始めた遠い遠い昔から今に至るまで、変わることなく営み続けられてきた、夢とロマンに満ちた自然のドラマではないでしょうか。山や川や海に人知れずたたずむ、それら自然が運んだ竹は、ほっておけばいつかは消えゆく定めにあります。まさに滅びゆこうとするその竹に、笛としての命を吹き込むということ。人の技を超えたあるがままの自然の造形、その多様な神秘の表情を、音色と共に愛で味わう‥‥。そんな「ほろびずの笛」の理念は、竹、そして山河・海がある限り不滅と言えるでしょう。文化は、人と自然の響きあいに他なりません。自然の種々相をいかに観るかによって、文化の在り様は決まります。目先の事しか考えない使い捨ての(滅びの)文化に甘んじるのか、生態系の永遠の相を見据えた「ほろびずの文化」を目指すのか、それは人間の側の心の問題といえるでしょう。自然を金(カネ)ではなく神(カミ)と観ること‥‥。
 文明の大きな節目に生まれ合わせた私達。竹の神秘(可能性)に思いを馳せ、自然の恵みに感動と感謝の心をもって響きあう文化(コスミックハーモニーへと向かう文化)を共に目指したいものです。




上の写真の浜で拾った竹と流木のハーモニー


戦争ホーキ笛


 竹という自然の素材(恵み)をどう活かすかは、人間の自由意志に委ねられています。それは竹槍(武器)にもなれれば、竹笛(楽器)にもなれる訳です。
 この笛は、目に見える物質世界のチリを掃き清めるための道具<竹箒>と、目に見えない精神世界のチリ(エゴ)を吹き清め、心を育むための伴侶<竹笛>、その両者が合体したものといえるでしょうか‥‥。
 世界の平和は、一人ひとりの心の平和から始まります。その原点をしっかりとチム(肝)に染めて、ちょっとユーモラスに「戦争ホーキ笛」と名付けてみました。



CDジャケットのほろびずの笛

「森の女神」

 竹が倒れて土に帰る少し前の段階で、このような姿を留める事は奇跡に近いと思います。(絶妙によじれた木の葉の背後に、竹の葉っぱ3枚が両腕を形作るようにくっ付いています。)1本の竹・2枚の木の葉・3枚の竹の葉っぱ、それら三者の織りなす絶妙なハーモニー‥‥。まさに神の芸術と言えないでしょうか?(この写真は、琉球藍染家の高階章さん<石垣市在住>のタペストリーをバックにカメラマンの稲嶺もりみつ氏が撮影したものです。)

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