きまぐれノート

ある方の強いご要望により開設の運びとあいなりました(愛成りました?)気ままなコーナーです。
取り上げてほしいテーマ等がございましたら、お気軽にリクエスト下さいませ‥‥。

  • ひびきあい(06.10.15)
  • 捻華微笑(ねんげみしょう)
     (06.10.22)<リクエスト>
  • 森の影絵(06.11.1)
  • 文化の日(06.11.3)
  • 12月8日(06.12.8)
  • クリスマス(06.12.25)
  • 元朝の想い(07.1.1)
  • 元日のこもれび(07.1.1)
  • 一音をいつくしむ(07.1.11)
  • ゆうなの葉(07.1.16)
  • 葉を愛でる(07.1.17)
  • 道 その1(07.1.17)
  • 道 その2(07.1.18)
  • 道 その3(07.1.19)
  • 記憶のかけら その1
     <青春の神話>(07.2.4)
  • 笛を吹く(07.2.6)
  • ディオゲネス 
     <惹かれる人 その1>(07.2.22)
  • つくること(07.2.22)
  • 良い子・悪い子(07.2.23)
     <リクエスト>
  • 4月8日(07.4.8)
  • 4月9日(07.4.9)
  • 4月28日(07.4.28)
  • 子供の日(07.5.5)
  • 瞑想(07.5.13)
  • 一瞬のできごと(07.5.25)
  • たった一音でも‥‥(07.5.27)
  • 新月や(07.6.15)
  • 神の子守歌(07.7.1)
  • 子守歌(07.7.13)
  • ひとつの思い(07.7.15)
  • 8月6日(07.8.6)
  • 8月15日(07.8.15)
  • 年の始めに思うこと(08.1.1)
  • 成人の日に思うこと(08.1.14)
  • 知情意(08.1.14)
  • 白いいのち(08.1.28)
  • 立春のせせらぎ(08.2.4)
  • 古巣へ(08.2.20)
  • 移ろわぬもの(08.2.24)
  • 必要?(08.2.27)
  • 3月9日(08.3.9)
  • 演奏と音色(08.3.26)
  • 画家(08.9.25)
  • コーヒーいかが?(08.10.29)
  • 夜明けの小鳥(08.11.1)
  • しあわせ(09.10.19)
  • 落とし子(09.12.5)
  • 建国記念日(10.2.11)
  • 今は昔(10.3.17)
  • ひとり木陰にて(10.3.18)
  • I am(10.3.24)
  • 知らないこと(10.3.25)
  • まっさらな一日(10.3.30)
  • 素の音(10.4.21)
  • ライフハーモニー(10.4.28)
  • 朝(あした)の和歌(うた)(10.4.29)
  • 子供の日に その1(10.5.5)
  • 子供の日に その2(10.5.5)
  • 大人と子供(10.5.6)
  • 在ること(10.5.10)
  • おだやかな風(10.5.22)
  • 次回(未定)

  • ひびきあい


    山や川や海へ行き、ひとりただボーっと過ごします。
    ただボーっと見入り、ただボーっと聴き入ります、寝転んだり、歩いたりして。
    そして、心惹かれた木の葉や小石や、貝殻や流木等を持ち帰ってきます。
    あるがままのそれら一つひとつの組み合わせにより生まれるハーモニー。
    俳句は、3つの言葉(句)の組み合わせによる、リズムを伴ったハーモニーと言えるでしょうか。
    3つの小石から生まれたこのオブジェ(ハーモニー)は、俳句を視覚化したものと言えそうです。
    またヒトデと小石の二重奏は、和歌の上句・下句のひびきあいを示唆するかのようでもあります。
    ひびきあい‥‥、自然は、常にコスミックハーモニーを奏で続けています‥‥。
    山や川や海へ行き、ひとりただボーっと過ごしませんか?
    ただボーっと見入り、ただボーっと聴き入りませんか?寝転んだり、歩いたりして‥‥。


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    捻華微笑(ねんげみしょう)<リクエスト>

    お釈迦様が説法なさろうとする時、お弟子さんのひとりが蓮の花を献じられました。
    お釈迦様は、その蓮の花を受け取られ、お弟子さんたちの前に立たれました。
    そして、何も語ることなく、ただ蓮の花をひねってお見せになりました。
    お弟子さんたちは、何のことだか理解できずにいます。
    その時、ただひとり摩訶迦葉だけがほほえんでそれに応えました。
    お釈迦様はおっしゃいました。
    「我に実相無相、微妙(みみょう)の法門あり、摩訶迦葉にこれを負託する。 」
    私の教えを迦葉(かしょう)にまかせるとしよう、と‥‥。

    お弟子さんたちは、誰もが皆、蓮の花の説法を予想したことでしょう。
    (恐らくは、法華経の元になったといわれる教え、あの美しい心の教えを。)
    「人の肉体は汚い。そこから出てくるものといえば、目からは目くそ、耳からは耳くそ、
    鼻から鼻くそ、口から歯くそ、そして大便小便、実に肉体は泥沼よりも汚濁に満ちている。
    だが、人は皆等しく仏性を宿し、悟れば心は美しく花開くのだ、あの蓮の花のように‥‥。」
    泥沼に咲く蓮の花、泥沼以上に汚い肉体に宿る仏心。その教えは、お弟子さんたちの心に深く
    刻まれていたに違いありません、あるいは、多くの教えの中でもひときわ光を放って‥‥。
    しかし真の理解は、知的な頭の理解にはなく、言葉に依らない全的な心の理解にあります。
    はたして、お釈迦様の真意はどのようなものであったのでしょうか?
    私にも昨年来、私なりの見解がない訳ではありません。正解は到底望めなくても、
    当たらずとも遠からず、良ないし可くらいは、と鼻を捻ってほくそ笑んでいます。
    「道」と題した大学の頃(?)の詩をひとつ‥‥。

     泥沼に咲くハスの花
     雲間より差す陽のひかり

     仏教え給い
     天示し給う

     真言
     法灯

     道‥‥

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    森の影絵


    末吉公園での一枚。いつもの場所でいつものように一人ただボーッと座っていた時の一コマです。
    影には、光を通さずにできる影と光を透してできる影の二種類があることに気づかされました。
    お日様の強い光によって、ある時は鮮やかにある時はほんのり透けて見える大小様々な葉っぱ。
    森中のそちこちに繰り広げられる幻想影絵の絵巻物‥‥。

    あらたうと 青葉若葉の 日の光  (芭蕉)

    「奥の細道」の旅中、日光東照宮で芭蕉の眼に映った木の葉の影は、
    荘厳に照り映える影、神聖な光のきらめきであったことでしょう。
    しかし森陰で人知れず演じられるこの出し物は、それとはまた別な、
    賢治や金子みすずの世界、魅惑的な幻想空間への誘いでしょうか‥‥。

    陽のひかり 青葉若葉の 影絵かな


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    文化の日(06.11.3)

    古今東西、様々な文化があります。
    すでに滅んでしまったもの。
    新たに生まれるであろうもの。

    何を育み伝え、
    何を手放すべきなのでしょう?

    かつて賢治は、
    野原ノ松ノ林ノ蔭に、
    羅須地人協会を設立し、
    「農民芸術概論綱要」を世に問いました、
    新たな文化の創造を夢みて‥‥。

    永遠を見据えて望まれるのは、
    時と所を超えた文化でしょう。
    そしてそれは可能でしょうか?

    賢治は言います。
    「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」
    「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」と。

    心を一つにすること、
    それは可能でしょうか?

    それができずに、悲惨な現実があります。
    貧困、飢餓、闘争、破壊、戦争‥‥。

    文化の根底にある宗教。
    古今東西大小様々な宗教。
    讃え合い支え合うのではなく、
    競い合い奪い合い、時に殺し合う‥‥。

    未来に光をもたらすものは何でしょうか?
    宗教でなければ、科学でしょうか?
    科学は地球を葬り去るだけの核を既に産み出しました。

    宗教でもなく科学でもなく、
    政治や強引な革命でもないとすれば、
    何が最後の光なのでしょうか?

    一人ひとりが等しくその課題を背負っています。
    私そしてあなた、同時代に生まれ合わせたすべての人が。

    最後の光は自然にあると、私は思います。
    不滅の命の聖典は自然にしかない、と。
    その光に目を向け、耳を傾けること。
    ただ見入り、聴き入ること‥‥。

    無心に自然に染まる道、
    その光に導かれて、
    今、私は在ります‥‥。

    ‥‥松は松 すみれはすみれ おのづから おのが道あり おのが道ゆく‥‥

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    12月8日(06.12.8)

    12月8日、その日は、
    アメリカにとっては、「リメンバー、パールハーバー!」の日、
    東南アジア諸国にとっては、植民地からの解放、
    独立への道を開いた記念すべき日、となるのでしょうか‥‥。

    大義対大義、善対悪、その構図がある限り、
    戦争がなくなることはないでしょう、決して。
    そこにいかなる理由があるにしても、それは
    ひとつの土俵の上での出来事・事柄に他ならないのですから。
    土俵がある限り、戦いもまたあり続けるに違いありません、永遠に。

    土俵を無効にする道、
    土俵そのものを滅し去る道、
    そんな道はないのでしょうか?
    地面を這う虫が、ついには蝶となって宙を舞う、
    そんな新しい次元上昇の道は‥‥。

    お昼に末吉の森へ行き、
    今日の思いを、ボーっとノートに書き留めました‥‥。

      森に入ると人の気配が消えてしまう
      人の気配とは何だろう
      森にない人の気配とは

      町中に満ちる人の気配
      どうう、私って? いえ私こそ!
      何かに また誰かに
      言ってみたり やってみたり
      なんともせわしいゴタゴタ祭
      いつ終わるのやら そのお祭

      森にあるのは ただしずけさ
      森の中を吹き抜ける風の音と鳥の声
      そちこちにそっと差し込むこもれ陽
      あるがままの聖なるしずけさだけ‥‥

      大切なのはただひとつ
      心にしずけさをもどすだけ
      森のしずけさ その聖なるしずけさを
      そっと心にかえすだけ

      人々の瞳の奥に 森のしずけさが移り住む時
      その時こそ 風はそっとささやくことだろう
      やっと平和ががおとずれましたね、と‥‥

      人気のない森の中
      聖なるしずけさの底に
      沈んでいこう
      どこまでも‥‥

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    クリスマス(06.12.25)

    聖夜に思うこと

     その1

    愛‥‥
    隣人への愛と神への愛
    横の道と縦の道
    その二つの道
    キリストの教えを
    見事に象徴する
    十字架‥‥

    偶然なのだろうか?
    そのことは‥‥


     その2

    ふとある日思ったこと‥‥

    人生の舞台において
    人は皆それぞれの役を演じる
    救世主の役は
    迷える子羊を必要とする

    救世主は迷える子羊を救い
    迷える子羊は救世主を救う
    かくて役割の輪は完結する‥‥

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    元朝の想い(07.1.1)

    元旦の朝、床の中で静かに湧いてきた想い、それは、努力の方向‥‥。
    努力の方向、それは、一念三千、心の針の向きを意味するものなのか?
    心の針は、ひと所にとどまることなく、右へ左へ、いや前後上下左右、
    四方八方、気ままに揺れ動く‥‥。

    至る所で待ち受けている色とりどりの宝に、人の心は幻惑される。
    目の向くところは、心の向かうところ、心の針の方向を指し示す。
    眼を開いて世界を眺める時、全方位へと広がる無数の方向がある。
    しかし、ひと度眼を閉じれば、事態は一変し、すべては闇と化す。
    そして、すべての方向は消失し、内へと向かう道だけが残される。

    眼を閉じた時にのみ現れるたったひとつの方向、外でなく内への。
    問うべきは、前後上下、右か左かではなく、内か外か唯それだけ!

    心の針が外を向いている限り、真実に到達することはない。
    心そのものに目が向かぬ限り、問題の真の解決は望めない。
    心の存在なくして、神も、宇宙の存在もまたありはしない。
    心の本源にたちもどること、今すぐに。
    直ちに内へと向かうこと、そして常に。
    そこにこそすべての鍵がある。
    人としての最終の課題も‥‥。

    かつて賀状にこう記した‥‥。

     一年の計は元旦にあり
     一日の計は朝にあり
     一生の計は今にあり

    元旦の朝の今の想いを、
    かみしめてみたい‥‥。

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    元日のこもれび(07.1.1)


    元日の午後、工房でひとり静かに笛を吹いておりました、「トロイメライ」や「さくら」を。
    目の前にある藍染のタペストリーに、すっと光が差し込み、はっといたしました。
    まもなく消え、またすっと現れます。幾度かくり返すので、見とれておりました。
    庭の木の葉っぱのすき間を通って忍び込んだ、入り日が見せてくれる魅惑的な表情、
    その仕草は、古巣へいざなう神の挨拶なのかも知れない、そうふと思いました‥‥。

     笛吹けば 元日の陽のつと入りて 消えつ灯りつ 夢おぼろなり

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    一音をいつくしむ


    生きるとは、体験すること
    感じること、味わうこと
    ふかく‥‥

    雪の結晶のように
    小石の一つひとつ
    木の葉の一枚いちまい
    ひとつとして同じものはない

    ささやかなもの
    その一つひとつを
    いつくしむこと‥‥

    そこから見えてくる、何か‥‥

    木の葉はさながら楽譜の音符‥‥
    一音いちおんを
    いつくしむこと
    ふかく‥‥

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    ゆうなの葉


    日曜の昼下がり(1.14)、以前住んでいた壷川の川沿いにある公園を歩いておりました。
    つい目がいってしまうのは、やはり落ち葉‥‥。蝶々のような羊蹄木(ヨウテイボク)の葉、
    茶色の縞模様が浮き出たガジュマルの葉、くるっと巻き付いた風情がどこか炎を思わせるデイゴの葉‥‥。
    しばらく行くと、赤みを帯びた一枚の葉に出会いました。愛らしいハートの形をしたゆうなの葉でした。
    ゆうなの落ち葉は黄色か茶色とばかり思い込んでいたのでびっくりいたしました。
    赤紫から茶や黄色への微妙なグラデーションの見事さにまず瞠目。よく見ると、虫が食べたのでしょう、
    いや彫ったのでしょう、小さな穴が空いています、バランスよくリズミカルに、九つも。
    作意の跡を留めない自然の芸術、見れば見るほど引き込まれてしまいます‥‥。
    しばらく見入ってからその場を離れましたが、歩きながら考えさせられました、
    「決めつけはいけない、すべてを理解している訳ではないのだから‥‥。」と。
    一枚の落ち葉から、感動と教訓の両方を頂いた一日でした。

     ひと舞ひし 地上におりし ゆうなの葉 錦の衣 身にまとひつつ

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    葉を愛でる

    日本の文化は、一言で言えば、花鳥風月(自然)を愛でる文化と言えないでしょうか?
    花にも増してなぜか落ち葉に惹かれます、花より葉っぱ、といったところでしょうか?
    花を愛でる文化に加え、葉を愛でる文化の創造にも惹かれます、一緒にいかがですか?




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    道 その1

    道 それはスポーツではない 勝負事では
    道 それは娯楽でもない 単に遊び事でも
    道 それは優劣を競い 栄誉を求める事ではない
    道 それは自分らしくある事 自分自身である事‥‥

    ふと目をやれば 窓の外に小さな水たまり‥‥
    かすかな雨が そちこちにまあるい波紋を産んでいる
    現れては消え 消えては現れ
    その数 その速さ 微妙な揺れをみせて‥‥

    じっと見入るほどに 意識は遠のく‥‥
    たしかにそれは あるいざない
    はるかなるもの
    なつかしきものへの‥‥

    道 このひとつぶのしずくの営みこそは!
    道 あるがままの無心のこの営みこそは!

    自然の営みの前に
    人の営み すべて
    それはおままごと‥‥

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    道 その2

    道 ‥‥
    それは自然が示す命の役割
    花には花の役割があり
    鳥には鳥の務めがある 

    樹齢数千年の木があり
    一生が七年の竹がある
    一年一生の草花があり
    わずか数秒の虹もある ‥‥

    巨木が一年草のようであるならば?
    草花が何百年も咲き続けるならば?

    役割こそが生の期間を決める!

    問うてみよう 自らの役割を
    今 自分自身であるかどうか‥‥

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    道 その3

    大晦日は源河川で過ごすのが常です、テントを張って。
    ひとり静かに、一年を振り返り、新年を迎えます‥‥。
    そして気が向けば、あれこれなんとなく書いてみたり。
    2003年1月3日付のメモ書きが出てまいりました。
    あれこれの中から、今も心に残る短いものを2つ‥‥。
    源河川が教えてくれた「道」と言えるでしょうか‥‥。

     川の水を手ですくい
     顔を洗っている時
     川の流れのように
     ふっと湧いてきた思い

     ‥‥水に染まりなさい‥‥



     幸せとは
     心に森を染めること
     自然の神秘に染まること

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    記憶のかけら その1<青春の神話>

    2月4日 立春
    私の人生を決めた 運命の日

    この日なくして 今の私もまたない
    私の記憶に残る 今生の最大の事件‥‥

    1969年2月4日 立春
    その日私は 人生最大の闘いを挑んだ
    聴覚を失うかもしれぬ いや
    失うはずであった闘いを
    悲壮な決意をもって‥‥

    相手は 黒い殺し屋と呼ばれた
    ベトナムの戦場に飛び立つ
    一機の戦闘爆撃機 B52

    兵士のみならず
    幼い子らの命をも奪う
    その黒い殺人機‥‥

    (日本本土の工場で作られた爆弾は
     沖縄嘉手納基地から運び出される‥‥)

    しかしそれは 無惨な敗北に終わった
    内に灯る希望の光は 敢え無くも潰(つい)えてしまった

    「成せば成る」
    私を支えてきた 不滅であるはずのその信念は
    この日見事に 跡形もなく吹き飛んでしまった
    完璧に‥‥

    絶望とは 希望の光が消えること
    私はその 底知れぬ闇黒の谷に落ちていった
    糸の切れた凧のように‥‥

    希望を絶たれた者に 最早
    生きる意味など存在しない

    いかにして生を絶つか
    関心事は ひとつその事に定まった

    起きているのか寝ているのか
    生きているのか死んでいるのか
    夢遊病者のようなその姿は
    傍目にどう映っていたものか‥‥

    幾日続いたのか そんな日が‥‥

    そんな絶望の真っ只中で
    私の魂は 突如目覚めた
    それは意識のビッグバン‥‥

    天が割れる それは単なる比喩ではない
    事実 時空は割れ古い自己は消えてしまった
    いや 自己が時空を覆ってしまったのか‥‥

    意識が裂ける時 天も裂ける‥‥

    釈迦の梵我一如 キリストの永遠の生命
    魂は その知性を超えた真実を宣言した‥‥

    高らかに 聖なる光に満たされて‥‥

    時空を超え常住する もうひとりの自分‥‥
    救いは 肉体ではなく魂の次元にあった‥‥

    だがしかし‥‥
    今こうして過去を振り返り
    あれこれ言葉を紡いでみても
    体験を伝える事は所詮叶わない
    言葉は 過去の基盤に成り立つ概念
    単なる抜け殻に過ぎぬであろうから‥‥
    (クリシュナムルティの語るように)

    その日を境に
    求道者としての
    私の魂の旅が始まった

    解り合える友とて無く
    書き置きを残し 私は
    ひとり文字通り家を出た‥‥

    神戸から大阪・滋賀・京都・熱海・東京‥‥

    それは今尚 私の記憶の中の
    夢のような 青春の神話‥‥

    そして 今は?‥‥

    想像を遥かに絶するその鮮烈な意識も
    哀しいかな 時と共に
    その光は失われてきてしまった‥‥
    朝と昼のまばゆい光が やがて黄昏を迎えるように‥‥

    たそがれの後の かすかな星明かり
    闇に浮かぶ蛍の光にも似た その光

    かすかな光であったとしても
    たとえ消えつ灯りつの
    蛍の光のようであったとしても
    私は一向にかまわない‥‥

    それが 消えることなく
    灯り続けてくれるのなら

    ずっと 灯り続けてさえくれるのなら‥‥

    あの 蛍のように‥‥

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    笛を吹く

      ・

    笛を吹く
    のどがかわいたら 水を飲むように
    おなかがすいたら ごはんを食べるように

    笛を吹く
    なぜか ただいとしくて
    ただ なぜかなつかしくて

    笛を吹く
    吹いてることさえ忘れて
    しずかに あるがままに

    ひとり 
    笛を吹く
    ただ 
    笛を吹く‥‥ 

      ・

    のどがかわいてもいないのに 水を飲む人
    おなかがすいてもいないのに ご飯を食べる人
    そんな人は どこかおかしい

    いとしい思いもないのに 笛を吹く人
    なつかしい思いもないのに 笛が吹ける人
    そんな人も やはりどこかおかしい

    大切なもの 温めたいもの
    それがなくても生きれる人
    どこかおかしくないだろうか?

    むなしくないだろうか
    さびしくないだろうか
    いつくしむものなくて‥‥

      ・

    かすかな風にゆれる 庭の草
    こもれ陽にゆらぐ 庭の千草

    ゆれること ひびくこと きらめくこと
    それはみんなおなじこと
    ゆれたいからゆれ
    ひびきたいからひびき
    きらめきたいからきらめくだけ
    ただそれだけのこと
    在ることってそういうこと
    生きることって‥‥

    風がそうささやいたような気がした

    笛を吹くことだって
    きっと そうだ‥‥

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    ディオゲネス(BC410〜BC323) <惹かれる人 その1>

    古代ギリシャ、アテネ。
    白昼、往来を何やら叫んで歩き回るひとりの男がいた。
    見れば、火を灯したランプを手にしている。
    「人間はいないか!」「人間はいないか?」
    「どうなさいました?」「人間を探している。」
    「大勢いるじゃないですか?」「それは人間ではない。」
    プラトンに<狂えるソクラテス>と呼ばれた男‥‥。

    哲人ディオゲネス、シノペ出身の彼は、
    貨幣改悪の廉(かど)で祖国を追われた亡命者だった。
    神託に従ったまでだが、なぜか、そうなってしまった。
    「で、シノペの人たちは、君に追放を宣告したのだね?」
    「おれは、彼らに故国に留まるよう宣告してやったさ。」
    哲学するようになったのは、追放のお陰だと彼は言う‥‥。

    航海中、海賊に捕らえられ、奴隷として売りに出された。
    立派な衣裳をまとったある人物を指さして言った。
    「この人におれを売ってくれ。彼は主人を必要としている。」
    買い主は、彼の仕事ぶりに目を見張り、雀躍り(こおどり)した。
    「よきダイモーン(福の神)が舞い込んだぞ!」

    ある時彼は言った。
    「おれは、ネズミに生き抜く術を学んだ。
    ネズミは、寝床を求めることもなく、暗闇を恐れず、
    美味美食と思われているものを欲しがりもせずに、ただ走り回っている。」

    彼の家は酒樽だった。
    ころころ転がして、気ままに好きな場所へ移動した。
    持ち物はお椀くらいだったが、それも捨ててしまった。
    子供が素手で水をすくうのを見て、「この子に負けた」といって‥‥。

    戦争準備で町中が慌ただしいある日、
    何を思ったものか、ねぐらの酒樽を、
    丘の上に運び上げては転がし落とし、
    また運び上げては転がし落としし始めた。
    「何をしているのだね?」人々は尋ねた。
    「おれも何かしなくては申し訳ないと思ってね。」

    人は彼を犬と呼び、自らもそう称していたが、ある日、
    アテネを征服したアレキサンダー大王が彼のもとを訪れた。
    招いても来る気配がないので、仕方なく兵士率いてやって来たのだ。
    彼は、近くの森でひなたぼっこをしていた。
    大王は馬から下り、彼の足下に立った。
    「わしは大王のアレキサンダーである。」
    「おれは犬のディオゲネスだ。」 
    「おまえはわしが恐くはないのか?」
    「あなたは何者か?善い者か、それとも悪い者か?」
    「むろん善い者である。」
    「なら、誰が善い者を恐がるだろうか。」
    「なにゆえに犬と呼ばれているのか?」
    「ものを与えてくれる人たちには尾をふり、
    与えてくれない人たちには吠えたて、
    悪者どもには咬みつくからだ。」

    対話の最後に、大王は言った。
    「何なりと望みのものを申してみよ。」
    「私の前に立たないで欲しい。日陰になって邪魔だから。」

    立ち去った大王は、後に語ったという、
    「もし自分がアレキサンダーでなかったなら、
    ディオゲネスであることを望んだであろう。」と‥‥。
    二人は同じ日に死んだ、とある書籍は記している。

    ある愚かな男が竪琴を調律しているのを見て、いみじくも彼は言った。
    「君は、自分の魂を調律することはせずに、恥ずかしくはないのかね?」
    また、「私は哲学には向いていません。」と言った人に対する彼の言葉は、
    「では、なぜ君は生きているのだね?立派に生きるつもりがないとすれば。」

    年老いた彼に、ある日こう語った者がいた。
    「君はもう年寄りだ。今後は、力を抜いてくつろぎたまえ。」と。
    「なんだって?ゴール間近のランナーに、力を抜けと君は言うのかね?」

    彼が常々語った言葉に、次のようなものがある。
    「悲劇の中で聞かれる呪いは、
    自分の身に実際に実現している。
    祖国を奪われ、国もなく、家もない者。
    日々の糧を物乞いして、さすらい歩く人間。
    ともあれ自分はそれなのだ。」と‥‥。

    ディオゲネス、
    古代ギリシャ、アテネの街角を徘徊したひとりの男。
    「おおい、人間ども!」「おおい、人間ども!」
    人々が集まると、杖を振り上げ、こう叫んだ男。
    「おれが呼んだのは人間だ、がらくたなんぞではない!」と。

    哲人ディオゲネス、彼が現代に転生したら、
    どのようなドラマを演じてくれるのだろう‥‥。

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    つくること

    生きることは  つくること
    農家の皆さん  つくります
    お米にお野菜  つくります
    雨にも負けず  かぜのひも

    生きることは  つくること
    朝のお食事   おかあさん
    心をこめて   つくります
    おみそ汁に   あついお茶

    生きることは  つくること
    子どもたちも  つくります
    筆にたっぷり  スミすわせ
    夢という字を  いきいきと

    生きることは  つくること
    いつも何かを  つくります
    生きることは  つくること
    みんな何かを  つくります

    それがいつか  つながって
    それがいつしか ひろがって
    みなで文化を  つくります
    みなで歴史を  つくります

    生きることは  つくること
    心をこめて   つくること
    真心こめて   つくること
    明日へのそれが みちしるべ

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    良い子・悪い子 <リクエスト>

    小学生の頃のぼくは、良い子だった、たぶん‥‥。
    新聞配達少年だったから登校は誰よりも早かった。
    警備のおじさんから鍵を預かると風を切って走り、
    校舎の各階の入り口を開けてよろこんでいた‥‥。
    立候補演説の初代児童会長に当選したりしたのは、
    今にして思えば、あっぱれものであるのかも‥‥。
    あの頃は、輝く未来が永遠にあるような気がして、
    毎日ワクワクひとみキラキラ、だったような‥‥。

    高校生の頃のぼくは、悪い子だった、たぶん‥‥。
    入学して間もない頃、実力試験をしますと聞いた時カチンときた。
    だってそうだろう、入学試験で実力を試されたばかりじゃないか、
    一体全体、今度は何のために実力試験なんかする必要があるんだ?
    この学校の先生はアホ軍団に違いない、ぼくは本気でそう思った。
    ぼくは一応氏名だけはちゃんと書いたが、全教科白紙で提出した。
    先生方は皆優しかった、零点の答案用紙を渡すとき皆無言だった。
    いや、国語の先生だけは違った、「どうしたの?」とだけ訊いた、
    悪い子を見る目で‥‥。ぼくは無言で受け取り無言で立ち去った。
    あの頃は、険しい未来が常に立ちはだかっているような気がして、
    毎日キリキリひとみモヤモヤ、だったような‥‥。

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    4月8日 <07.4.8>

    4月8日 花祭り
    今日はお釈迦様の誕生日
    ただそれだけの理由で
    なぜか私の心はときめいてしまう

    私が心惹かれてきた先達の多くは
    お釈迦様にたどりついてしまうようだ

    宮沢賢治・芭蕉・良寛・一遍・西行・良忍‥‥
    お釈迦様から放射された
    無数の求道者の光(道しるべ)・‥‥

    よしがんばるぞ、という自力門から
    わたしもうだめ、という他力門まで

    むずかしそうなものを好む人から
    やさしいのがいいに決まってるという人まで

    お釈迦様の光(教え)は
    すべての人に注がれる
    気づいた人にも
    そうでない人にも
    わけへだてなく

    お日様のひかりのように‥‥
    お月様のひかりのように‥‥

    今日のこの日
    私もまた
    感謝の気持ちを捧げよう

     ‥‥ひさかたの 三日月の笛 たてまつる そも御仏の 影と知りつつ‥‥
     ‥‥春の夜や 空に舞い散る 星ざくら‥‥

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    4月9日 <07.4.9>

    今日は私の誕生日です。
    朝刊に目を通していると、「心に太陽を 唇に歌を」の文字が目に入りました。
    なつかしい言葉です、外国の誰かの詩の一節だったと記憶しますが、忘れました。
    太陽。古今東西、時を超え所を越え、人々の聖なる信仰の対象であった太陽。
    確かにそれは、神の象徴にふさわしいものでしょう。光の源なのですから。

    宇宙の存在を可能にする原理、陰と陽の二元論。
    プラスとマイナス・上下左右・順境逆境・幸不幸。光と闇‥‥。
    「闇は光に勝たなかった」と聖書には記されているようですが‥‥。

    私たちが日頃意識しているのは、太陽暦と太陰歴でしょうか。新暦と旧暦。
    その他にもマヤ歴やヒンズー歴、世界には色々あるようです。
    釣り人には、潮の満ち引きがわかる旧暦(太陰歴)の方が有り難いです。
    かつて私は釣りキチでしたから(源河川を知るまでは)‥‥。
    農家の方も、旧暦を望んでおられるのではないでしょうか。
    自然の運行に従って作られたのは太陰暦なのでしょうから。

    太陰暦、つまり月の運行で定められた暦。
    不思議なのは、女性の体のリズムと月の運行のリズムは切り放せない関係にあるという事です。
    この事実は、実際考えれば考えるほど、私には摩訶不思議に思えて仕方ありません。

    陰陽二元論からすれば、女性=月(陰)に対して男性=太陽(陽)という事になるのでしょうか?
    陽光と月光、お日様の光とお月様の光。そして。
    闇夜を照らすのは、やさしいお月様のひかりです。

    太陽の光は動への誘い、月の光は静への誘いです。
    太陽の光は活動へ導き、月の光は瞑想へ導きます。

    ぎらぎら飛び跳ねる陽の光の下で、人は眠れるでしょうか。
    ひらひら舞い降りる月の光の下で、人は夢路につきます、すべてから解放されて‥‥。
    月のひかりは、子守歌を奏でているのではないでしょうか、古巣への夜の調べを‥‥。

    夜の調べは、ラッパの響きではありません。
    それは、人工の響きではなく、自然の響き、
    潮のリズムや波の音、鈴虫やフクロウの声、
    そして、竹から生まれた笛の音の調べです。

    竹笛の音色は、古巣へと誘う響き、
    喜怒哀楽の思いを解き放つひびき、
    個が全へと向かい、
    多が一へと向かう、
    帰郷のひびき‥‥。

    私が生を授かった聖なる日。
    私は私の誕生の歌を歌おう。
    この日、深い感謝を込めて。

    「心に月を 唇に竹笛を」

    カナイ笛、
    笛の道を、
    拓きたい‥‥。

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    4月28日 <07.4.28>

     4月28日は、私が「コンサートの日」として位置づけた日でした。教師を辞め(1999年3月)、その年のこの日、 笛吹童子の第1回のコンサートを開きました。カナイ笛は、心の古巣へ帰るための笛ですから、古巣(祖国)へ帰る為に、 かつて沖縄県民全体が一丸となって熱く燃えた日、「4・28」を選んだ訳ですね。

     2回までその日でしたが、これでいいのかと考え始めて、3回目は日を改めました。4月9日、誕生日にしました。 考えてみれば、誕生日ほど聖なる日はない訳ですから、その日、皆に祝ってもらって照れるとかいうのではなくて、 自分の存在の意味を問う、自分とは何か、いかに生くべきか、そのテーマを深く考えてみる日は、この日をおいて他にないのではないか?! という訳で、その日にしました。

     その後、大きな会場でのコンサートは開かなくなりました。何か、ちょっと違うな、という気持ちが湧いてきたのです。 もっと肩の力を抜いてというか、構えずにというのか、自然体でいく必要がありそうだ、と思えてきたのです。 つまり、ささやかな空間での憩いのひととき、といったイメージに惹かれるようになった訳ですね。 会場が広くなると、どうも憩いにくくなり、極力それは避けたほうがよさそうだ、という風に‥‥。

     という訳で、年1回定期的に開いていたコンサートはなくなっちゃいました。が、工房を開設した7月7日、七夕の日は、 なんらかの形でコンサートを開いています。小さな空間、ささやかな空間でです。今年は新たな一歩を踏み出した年ですから、 記念すべきコンサートにしたいと考えています‥‥。 予告的になりますが、チェロを入れようと思っています。自分で弾きます(予算もないことだし)。 つまり「セロ弾きのゴーシュ」、じゃなかった、「セロ弾き童子]も演じてみたいということな 訳ですね。 (実は、交通事故で痛めた左手が約30年ぶりに回復してきたようなのです、先月から。摩訶不思議です。キツネにつままれたような気持ちです。 指の力が回復した訳ではないのですが、モヤモヤ感がなくなり、弾いてても苦にならなくなりました。 チェロを弾いてもいいよという事かなこれは、と目下練習中‥‥。)

     テーマは「天地(あめつち)のひびき」です。弦のひびきは大地の響き、 カナイ笛のひびきは天上の響き。どういうことかは、七夕をお楽しみに‥‥。

     ひびきへの探求は、これからも、永遠に続きます。カナイ笛は道としての笛ですから‥‥。 コンサートは、その笛の道のりの一コマにすぎません‥‥。 でも、同じ時、同じ空間につどった仲間が、ひとつに溶け合う、聖なる憩いのひとときだと信じています‥‥。

     4月28日の今日は、コンサートについてちょっとだけ触れてみました。(2007.4.28記)

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    子供の日 <07.5.5>

     子供の日ですね。子供たちのために、私たち大人は何ができるのでしょうか?
    大正期の「赤い鳥」童謡運動に思いを馳せてみました。子どもたちの美しい空想や感情を育てる詩と歌を創作しようと、 詩人と作曲家が手を取り合って展開した、あの新しい芸術運動‥‥。鈴木三重吉や北原白秋、西條八十、山田耕筰、本居長世‥‥。 (宮沢賢治も寄稿したようですが、評価されず掲載には至らなかったようです、興味深いですね‥‥。)

    この運動の中で生まれた代表作のひとつに「かなりや」があります。
    味わってみたいと思います。

     かなりや     作詞 西條 八十  作曲 成田 為三

    1.唄を忘れたかなりやは 後の山に棄てましょか  いえいえそれはなりませぬ
    2.唄を忘れたかなりやは 背戸の小薮に埋めましょか  いえいえそれはなりませぬ
    3.唄を忘れたかなりやは 柳の鞭でぶちましょか  いえいえそれはかわいそう
    4.唄を忘れたかなりやは 象牙の船に銀の櫂  月夜の海に浮かべれば 
      忘れた唄をおもいだす

    唄を忘れたかなりや‥‥、はっとさせられますね‥‥。

    大人として、親として、友として、あるいはアーティストとして、
    いえいえそうではありませぬ、一回限りの人生の旅人として‥‥、

    それぞれに、忘れてしまった唄とは、何なんでしょう‥‥。

    それは、あるいは、純真無垢な、透明な、子供のこころ‥‥。

    子供の日は、子供の心に帰る日でありたい、そう思います‥‥。

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    瞑想

    瞑想 それは

    ただじっと見入ること
    ただじっと聴き入ること
    あれこれ考えずに‥‥

    心を無にする瞑想
    努力では無理ゆえ
    ボケるのを待ちます

    いや とっておきの方法が
    たしかに ひとつあります‥‥

    そうです
    こもれびやせせらぎ
    波の音や鳥の声‥‥
    自然の美に触れましょう

     ‥‥そもそもなぜそれらが身の回りにあるのでしょう?‥‥

    美に触れると
    人の心は鎮まります
    あれこれ考えなくなります

    美という感性の領域に支配されると
    知性や理性は黙り込んでしまいます

    働きかけをやめ 受け身に転じます
    寄せる波が返すように‥‥

    美に触れる時 それは
    努力から解放される時
    人の営みから解き放たれる時

    あるいは どこか遠くへ連れさられる時
    浮き世の反対側の世界 心の古巣へ‥‥

    自然は招いています いつも
    自然は誘っています つねに

    自然のふところにいだかれた無心の一時
    それにまさる瞑想があるのでしょうか?

    一切から解き放たれて
    あるがままにあるとき

    瞑想という名の
    やすらぎ
    しずけさが
    ひろがります

    はてしなく‥‥
    どこまでも‥‥

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    一瞬のできごと

    生まれたのも 一瞬のできごと
    死ぬのも 一瞬のできごと

    愛をささやかれたその時も
    別れを告げられたその時も

    感激の一瞬
    失意の一瞬

    すべては一瞬のできごと

    すべての一瞬を束ねた人生
    長いから尊いわけでもなく
    短いから儚いわけでもない

    人は皆
    永遠に匹敵する一瞬に出会うために
    この地上に降り立つのかもしれない
    幾たびも幾たびも この地かの地と

    永遠に匹敵する一瞬
    それは時間ではない
    それは時を越えた何か
    知性を越えた何ものか

    人生は出会いであり
    一瞬のできごとの集積である

    この理解こそが 人生を
    量から質へと誘い導く‥‥

    芸術も
    その泉から湧き出たひとつの小川‥‥

    すべてはやってくる 一瞬のできごととして
    すべてはさってゆく 一瞬のできごととして

    すべてのできごとを
    一瞬に封じ込めてみせた神の御業

    すべては一瞬に片が付くということ
    過去も 今も 未来も‥‥

    すべての希望の火は
    この魔法の火種から灯される

    そしてそれは
    灯されるのであって
    灯すことはできない‥‥

    それは
    神の恩寵であり
    人の努力ではない

    機が熟すれば訪れる 恵みの一瞬‥‥

    それはいつか必ず訪れる
    熟れた果実が
    おのずと地に落ちるように‥‥

    おのずからなる 
    一瞬のできごと‥‥

    永遠という名の
    一瞬のできごと‥‥

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    たった一音でも‥‥


    私は 風の声を聴いたのかもしれない‥‥

    曲なんかなんだっていいんだ
    ピーでもプーでも
    なんだってかまわない
    たった一音でも‥‥

    かすかにゆらぐ 木の葉や
    かすかにゆらぐ こもれ陽

    その しずけさ
    その やさしさ

    それが伝わるかどうかなんだ‥‥

    森のしらべ
    神の子守歌は
    一瞬のゆらぎにあるんだよ‥‥

    そんな風の声を
    私は聴いたのかもしれない‥‥

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    新月や(6.15)


    今朝、床の中で浮かんできた和歌と俳句です。
    (夜のトーク&コンサートで披露致しました。)

     玉と出でまた隠れゆくこころかな まなこ閉づれば望月の影

     出づる月出でぬ月ある浮き世なり もとのすがたは望月にして

     おもてのみ恋ひ願いつつ来し吾ぞ うらもおもても無きを忘れて

         ‥‥新月や 浮き世抱けり 聖銀河‥‥

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    神の子守歌

    ベートーベンの「第九」を聴くように
    耳を澄ましているだろうか?
    波の音や風の音に‥‥

    ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見るように
    ミケランジェロやガウディを鑑賞する時のように
    同じ気持ちで向き合っているだろうか?
    こもれびやホタルのひかりに‥‥

    ニュートンのつぶやき‥‥

    私は 
    真理の大海の砂浜で
    一つの小石や貝殻を見つけては喜んでいる
    子供のようなものだ‥‥

    森の中で静かに目を閉じると
    人類の巨匠たちのつぶやきが
    深いため息が聞こえるようだ‥‥

    自然の芸術の前に
    人の芸術はなんと幼いことか
    それはほとんど無にひとしい、と‥‥

    自然はうつくしいとか
    自然はすばらしいとか
    自然はたいせつだとか

    そんな気持ちは一切捨てて
    まっさらな気持ちで向き合ってみよう
    これが最後のながめ
    最初で最後のしらべ

    そう心に決め
    無心に手を合わせて‥‥

    神の芸術に触れることができるのは
    その時だけなのだから‥‥

     ‥‥ひとひらの落ち葉
       ひとふしの鳥の歌
       たまゆらの星のまたたき‥‥

    神は
    地球のゆりかごを揺らし
    子守歌を歌っている
    歌い続けている‥‥

    いつも‥‥
    いつまでも‥‥

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    子守歌

    母親は
    ゆりかごを揺らし
    子守歌を歌う

    神もまた
    地球を回し
    子守歌を歌う

     波の音‥‥
     風の音‥‥
     鳥の声‥‥
     虫の声‥‥
     小川のせせらぎ‥‥

    大地を覆う神の声
    大地を包む神の歌

    それは
    それこそは
    神のしらべ

    とわの
    不滅の
    子守歌‥‥

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    ひとつの思い

    神は
    あらゆる姿に変化(へんげ)した

    山や川や海に‥‥
    鳥や花や風に‥‥

    そしてある日
    一本の竹に変化し
    人をつかって
    一本の笛の姿をとった

    その筒を吹き抜けることによって
    あるひとつの思いを伝えるために‥‥

    笛は
    神の思いを伝えるものとなった‥‥

    笛の音は
    聴く者の心を
    そっとその舟に乗せ
    ふわっと綿毛のように宙に浮くと
    あるところへ向かって静かに流れていった‥‥

    あるところ‥‥

     ‥‥すべては
       神より出で神に帰る
       光も 音も 思いも‥‥

    音の舟がたどり着いた
    小さな小さな船着き場

    そこには
    そちこちに
    現れては消え消えては現れ
    大小様々な虹色の風が舞っていた

    そのすぐ側に
    まどろむように夢みるように
    なつかしい小さな光の家が建っていて
    扉に下げられた愛らしい木の葉のような札には
    月の光のようなやさしい文字でこう書かれていた

     ‥‥お帰りなさい‥‥

    そっと扉を押し開くと
    こだまするようなかすかな歌声が漏れてきた
    星のまたたきにも似たそのなつかしいしらべ‥‥

    なつかしいその神の子守歌に
    神のある思いが揺らいでいた

    すべてを超え
    すべてを包む
    ひとつの思い

    ゆめみるような
    まどろむような
    ひとつの思いが‥‥

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    8月6日


    今在るということ

    その命は
    ひとつの波紋を生み
    広がっていく‥‥

    しずかに
    たしかに

    かなたへ
    未来へと

    様々な命の
    様々な波紋‥‥

    8月6日
    広島忌の波紋‥‥

    その波紋に触れた
    もうひとつの命は

    どのような波紋を
    生み出すのだろう‥‥

    その波紋こそが
    歴史を 文化を
    生み出していく‥‥

    私は
    今日この日
    一本の笛を
    作る‥‥

    特攻の瞳
    光と化したそのまなざし
    暑い熱いその日差しの中‥‥

     ‥‥広島忌 ひとりしずかに 笛作り‥‥

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    8月15日

     ‥‥プロローグ‥‥

     J.A.L.シング牧師著
     「狼に育てられた子」
     カマラとアマラの養育日記‥‥

     人は
     言葉を必要としない狼にさえなりうるという
     その冷徹な事実を人類に示した希有の書‥‥

     時に戦争へと導く
     宗教・思想・文化の違いでさえ
     それは違いと呼べる程のものではないということを‥‥


    8月15日
    今日この日
    どの様な思いで受けとめたろうか?
    日本に生を享けた一人ひとりは‥‥

    1945年8月15日
    とてつもないその日も
    過去の一日として収まってしまっている‥‥

    たとえどのような日であろうとも
    一日は一日であり
    確実に過ぎゆくものであるということ‥‥

    非情にも時は流れゆく
    何が起きようとも
    人知るも知らぬも
    無常にも時は流れさる‥‥

    まっさらな一日一日
    まっしろな一瞬一瞬が
    留まることなく来ては去る
    湧いては流れる川のように‥‥

    神は
    そのようなものとして
    この世界をお創りになられた‥‥

    あるがままを
    あるがままに観ることのできる勇気
    真の一歩を踏み出す事ができる為の‥‥

    とてつもない
    そのまっさらな一瞬に

    人は
    何を思い
    何を捧げうるのか‥‥

    思うほどに
    意識は遠のいてゆく‥‥

    はるかかなた
    意識のかなたへと‥‥


     ‥‥エピローグ‥‥

     私は
     何を得たのか?

     私の
     今生の三つの宝もの‥‥

     ついにそれは
     いかほどのものであるのか‥‥

     神は
     すべてを解き放てと迫る‥‥

     たとえ
     それが何であろうとも‥‥

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    年の始めに思うこと

    年の始めに思うこと
    誰しもそれは、原点についてではあるまいか
    「初心に帰る」「永遠の真理」といったような‥‥

    初心に帰り、永遠の真理について、考えてみたい

    宗教や思想、すべてを超えて
    万人に共通のテーマとは
    人間とは何か?いかに生くべきか?
    つまりはそういうことではあるまいか

    「人間とは何か?」が明らかになれば
    「いかに生くべきか?」はおのずと明らかになる

    つまるところ、万人共通のテーマは
    「人間とは何か?」ということになるであろうか

    人間とは何であろうか‥‥
    考えてみたい、57年の人生を振り返りみながら‥‥

    私の魂の目覚めは18才の時であった
    意識と身体とは別であることをその年に知った
    幽体離脱とかいった表層のレベルではなく‥‥

    身体も宇宙も、それは物理次元の存在なのであり
    意識は、それを超えて存在しているのだという事

    意識は物理次元を超えた存在であるという真実
    目覚めの第一歩はその理解にあると言える‥‥

    その時点で
    この世的な諸問題のほとんどは消え失せてしまう
    いわゆる「平和な世界」「幸福な生活」といった‥‥

    つまり、魂の永続性(不滅性)は
    物理次元における人生の諸問題の
    そのほとんどを解決してしまう

    とはいえ
    永遠の視座に立った時に現れる
    新たなテーマというものがある
    そしてそれこそが、実は、真に
    「万人共通のテーマ」に他ならない

    それは「真の自己」「究極の自分」
    あるいは「最終ゴールの私」‥‥

    意識の海は深くその底は到底見えない‥‥
    だからこそ、人は皆永遠の旅人となる‥‥

    旅に終りがないことを知る時
    おのずと魂の在り様は定まる

    自分自身であることの真の一歩
    それは、恐らくはその時始まる‥‥

    今思い出したが
    自力の旅路には
    おのずからなる限界がある

    人生は一呼吸のサイクルを繰り返すが
    呼吸は自力なのかそれとも他力なのか‥‥

    生まれて死ぬまでを人生と呼ぶのなら
    その意義は長寿を全うする事ではなく
    天寿を全うすることにあると言えよう‥‥

    人生を決めるような感動や悟りその他
    すべては一瞬の出来事として現象する

    つまり、すべては一瞬で片が付くということ
    これこそは、神が編み出した、奇跡中の奇跡‥‥

    一瞬にとって、一呼吸の時間といえども
    それは無限にも匹敵する期間となりうる

    つまり神の一瞬は、人間の数千年や数億年
    いや無限の時をも一飲みし得るに相違ない‥‥

    神は永遠に未知なるものであり、いわば
    永遠にして究極の魔術師・魔法使い‥‥

    すべては、人の知性をはるかに超えた
    信じ難いまでの神の魔法に他ならない
    そして、人はその目撃者であるようだ‥‥

    限りなく意識の海に沈んでいくこと
    あらがうことなく、あるがままに‥‥

    流れゆく旅路から
    沈みゆく旅路へ‥‥

    そのことを、今年は
    道標(みあてぃ)としてみようか
    年の始めに思うこと、として‥‥

     ‥‥笛吹けば ゆうらりゆらり 沈みゆく
         澄み広ごれる 静寂(しずけさ)の海‥‥

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    成人の日に思うこと

    成人の日に自覚してほしいこととは何であろうか?
    国を越え、時代を超えて‥‥

    それは今の自分を知るということではあるまいか?
    いかなる歩みの故に今の自分があるのか、という‥‥

    自己の有り様を客観視できなければ
    他人とのハーモニー等けだし望むべくもあるまい

    生の無限の在り様を
    人類の一人ひとりが演じて見せてくれている

    あたかもそれはジグゾーパズルの一枚一枚‥‥

    ジグゾーパズルはどの一枚が欠けたとしても
    それは永遠に完成することはできない

    存在する一つひとつの役割は誰も代わることはできないし
    その役割を優劣の物差しで測ることもできはしない

    心臓は肝臓よりも優れた存在であろうか?
    松はスミレよりも優れた存在であろうか?
    動物は植物よりも優れた存在であろうか?

    存在する無限の役割の一つひとつを個々の存在が担っている
    そう見るのが、けだし正見というものではあるまいか

    かつすべての存在は互いにつながっており
    単独で存在するものなどあり得ないというのが
    物理的事実・科学的真実であると言えよう

    神ないし天は
    そのようなものとして世界ないし宇宙を創造されたのである

    成人した者の教養(認識)として
    まず知らねばならぬことの一つはそのことではあるまいか?

    そして今ひとつは自分史であろう
    世界史・自国史・思想史・音楽史等々
    すべての歴史の中でも最も重要な歴史‥‥

    自分自身の歩んできたその中身の一つひとつ
    それ以上に重要なもの貴重なものが、果たしてまたとあろうか?!

    世界史は誰しもが繙くことができよう、しかし
    自分史を繙き得るのは、唯一本人のみである

    自分の何者たるかを知らずして
    他人の何者たるかを知り得ようか?

    自己を深く掘る程に
    他人そして世界を深く知ることが可能となる

    つまりはこういうことになろうか‥‥

    無限の可能性を秘めたひとつの個としての存在が
    今ここに自分という形で現象している‥‥

    そのことを、無限の視点で見直してみること
    あるいは、すべての視点を捨てて見直してみるということ

    簡単に言えば、あるがままに見れるかどうかである

    結果としての今の在り様から
    スタート時点にさかのぼってみるということ

    その精神的、内省あるいは内観の作業こそが
    社会へ羽ばたく者に課せられるべき必須のハードルなのではあるまいか?

    1.この世界に単独で存在するものは何もない
    2.この宇宙を支えているのは因果律である

    成人であることの必須の要件として、上記二つの理解に加え
    それにもまして重要、いや重大な事柄が、実はもう一つある‥‥

    自明のこととして、人は肉体と精神の両面を有しているということがある
    が、肉体的成長と精神的成長が別であることもまた自明のことと言えよう

    肉体は放っておいても勝手に成人するが、精神はそうではない
    何をもって成人の証とすべきであろうか?
    私の結論は次の如くである、即ち

    人間の存在様式は意識である、常に(そして、とわに‥‥)

    デカルトの有名な言葉、「我思う、故に我在り」

    デカルトは思考を存在の原点に据えたが
    実は、思考は意識の一つの在り様にすぎない

    意識の領域の開拓
    それこそは新時代の幕開けを告げるテーマと言えよう
    クリシュナムルティはその先駆けであったろうか‥‥

    いずれにせよ
    新時代の到来を告げる新たな風
    銀河を巡る未知の風が吹き渡っている‥‥

    宇宙は果てしなく外に広がるとともに
    それは果てしなく内にも広がっている

    神秘は外と内の両方に横たわっているのである‥‥

    精神の内への門出に際し、心新たに手を合わす‥‥

    成人の日に望まれること、それは
    そんな心の在り様ではあるまいか‥‥

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    知情意

    意識の領域を三分割した言葉に、知情意というものがある

    知の領域が肥大化しているのは、今や世の常識であろう
    三領域のアンバランスが世の混乱を招いている訳である

    何事であれ、およそ危機的状況とはアンバランス状態のことに他ならない‥‥

    知は大切である
    知らぬよりは知っていた方がいいに決まっている

    汝自身を知れ
    真理は一つである
    命はひとつである
    求めよさらば与えられん
    今を生きることが大切である
    諸行無常・色即是空・塞翁が馬・等々‥‥

    多種多様な多くの教えが存在する
    単純に考えれば、その物知りの頂点は学者ということになろう

    しかし、学者のみならず多くの知者が溢れかえる今日
    いまだに世が混沌としているのは一体何故であるのか‥‥

    その理由は至って簡単
    知ることと行うことは別だからである

    知ったからといって即行動に結びつく訳ではない
    行為は意を決してはじめてもたらされる

    情が動かなければ意に結びつくことはないのである

    知は 情を動かし 意を決するに至らねば
    人を行動に導くことはありえぬということ

    連結する三つの歯車の二番目が欠ければ、歯車は機能しないということ
    その理解がどうも曖昧かつなおざりにされているのではあるまいか‥‥

    分けても、宗教界に多いように見受けられる
    すばらしい教えを知ったからには、知らぬ人に教えてあげねば、という具合に‥‥

    あからさまに言ってしまえば、教えとは、単に知識にすぎないのである

    教えそのものに力があるのなら、ユートピアはとうの昔に実現されていよう

    教えに命を吹き込むもの、それこそが情に他ならない

    例えば幸福は頭で知るものではなく、体で感じるもの、体感するものであろう
    幸福感という言葉はあっても幸福知という言葉は存在しない、当然と言えよう

    多くの知識を求めるように、多くの感情に思いをいたしてみてはいかがであろうか?
    多くの書物を貪り読むこと以上に、感性を育むことに目を向けてみてはどうであろうか?

    感性を育む領域、つまり芸術の領域こそが
    新たな時代を拓く鍵を握っていると言えそうである‥‥

    五感における創造行為
    わけても、直接ハートに働きかけるところの音

    音(ひびき)の持つ可能性‥‥

    その神秘の扉が、今新たに開かれたようにも思われる‥‥

    笛吹きの目指すところ、そして
    音に関わるすべての芸術家の目指すところが
    一音帰巣、その究極のゴールにあってほしいと
    ひそかに、願う‥‥

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    白いいのち

    なんとなく
    西原の公園に立ち寄ってみると
    駐車場に白い梅の花が咲いていた‥‥

    しばし見とれる‥‥

    時おりかすかに風が流れ
    小指の爪ほどの花びらが
    枝を離れ ふわりと横に舞う

     ここかしこ
     ひらりふわりと流れゆく
     小さなちいさな白いいのち‥‥

    メジロが一羽やって来た‥‥

    なにやらついばみながら
    そちこち動き回るその愛らしい仕草

    枝から枝へ飛び移るたびに
    二ひら三ひら 白い花びらが枝を離れる‥‥
    ひらひらり ふうわりふわり‥‥

    それは
    下に群れるアカリファの葉の上に舞い降りた

    その鮮やかな深紅の葉の上になにやら白く光るもの
    それは露ではなかったのか?

    近づいてみると
    確かにそれは 深紅の絨毯一面に敷きつめられた露の玉
    そして ここかしこに憩う 白い梅の花びらの群れ‥‥

    小さいもの同士が寄り添う ひそやかなひととき‥‥
    うっとりしずかに視線を右に流してゆく、と

    そこに
    ひとひらの花びらの上に鎮座まします
    ひとつぶの露の玉の姿が‥‥
    仏様のような‥‥

     ‥‥梅の花 大地に舞ひて その上に 鎮座まします 露仏かな‥‥

     幽かなかすかな雨の日の
     白いいのちの物語‥‥



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    立春のせせらぎ

    立春‥‥

     ‥‥一生を決定づける日というものがある‥‥

    私の29年前のその日
    立春‥‥

    思い出のその日の今日
    私は終日源河川に居た

    かすかなせせらぎのひびき‥‥
    鳥の声や風の音‥‥

    音とは何か?
    音を聴くとは?

    音楽を聴く行為は
    音の鑑賞の一様式

    何を期待するのであろうか それに
    何が得られるのであろうか それで

    音の世界
    音の神秘‥‥

    およそなんであれ
    人の手になる音楽の世界に惹かれ
    それに一生を費やすことは尊いことではあろう

    けれども
    音に出会い
    その背後に広がる
    とてつもない神秘に気づくことなく
    一生を終えるとしたならば‥‥

    けだしそれは
    一生をドブに捨てるようなもの‥‥

    しずかにひろがるせせらぎのひびき‥‥
    その多様多彩な表情のおくゆき
    その音の神秘 奇跡は

    演奏家不要にして
    鑑賞費無用である

    せせらぎに聴き入り
    ひびきに溶け入って我を失う‥‥

    その時こそ 人は
    人に耳のあるその訳を悟る‥‥

    山があり 川が流れ
    せせらぎが生まれる‥‥

    そのしらべに無心に耳を傾けさえすれば
    この世がはかない夢にすぎぬことを
    人は誰しも悟ることだろう‥‥

    せせらぎは告げる
    まさにそのことを‥‥

    一生を決定づけた思い出
    その他もろもろの思い出
    すべてを‥‥

    のみこみ
    とかし
    ただ
    来たり
    去りゆく

    水の音‥‥

    源河川の
    立春のせせらぎ‥‥


      ‥‥春立つや 夢と消えゆく 水の音‥‥




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    古巣へ

    真理は
    誰かがそう言うから
    誰かがそう言ったから
    真理なのだろうか‥‥

    お釈迦様が言われることだから‥‥
    イエス様が言われたことだから‥‥

    誰が言ったにせよ
    言わぬにせよ
    真理は真理
    言う言わぬ
    信不信とは
    無縁のもの

    時空を超え
    万人を導く
    真理‥‥

    その最終判定者は
    個々の一人ひとり
    私 そしてあなた‥‥

    その理解に立ててこそ
    人はついに組織を超え
    己が道を歩み始め得る‥‥

    人は皆
    ただ一人生まれ
    ただ一人死にゆく

    精神と肉体を授かり
    大自然を生きてゆく

    精神・肉体・大自然
    それが存在のすべて
    万古不変の‥‥

    それゆえ
    真理の探究とは
    その三者の探究を意味しよう

    聖書や仏典や
    あるいはその他
    それが何であれ
    書籍の探求を意味しはしない

    すべての教えは
    大自然から紡ぎ出されたひとかけら‥‥

    真理の探究とは
    大自然の探求と
    自己(精神と肉体)の探求に他ならない

    大自然を
    目で見 耳で聞き
    肉体(五感)で捉え
    精神(意識)の何たるかを知ること
    それがいわば 道というものであろう‥‥

    なぜ真理そのものに向かわぬのであろうか?
    人や組織にではなく‥‥
    なぜ命そのものに向かわぬのであろうか?
    言葉や活字にではなく‥‥

    なぜ自然そのものに向かわぬのであろうか?
    すべての源に‥‥

    なぜ自分自身に向かわぬのであろうか?
    すべての源の
    その中心に‥‥

    真理
    それは
    内なる声の導く
    古巣‥‥

    いかなる時
    いかなる所に在ろうとも
    いつでも帰ることのできる
    とわの古巣‥‥


    古巣へ‥‥


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    移ろわぬもの

    ある人を導き
    ある人を導かない

    ある者に真理で
    ある者に真理でない

    万人を導き得ぬものは
    真理とは呼べまい‥‥

    生態系
    命のつながり

    時空・縦横につながる
    大いなるひとつの命
    十字架のような‥‥
    円環のような‥‥

    この真理の前に
    いかにあるべきか?

    これこそは
    万人共通・必須のテーマ!


    つながるが故に
    常に私と共にある
    空 一輪の花‥‥

    つながるが故に
    常にあなたと共にある
    風 星のまたたき‥‥

    すべては移ろいゆく
    宗教さえもが‥‥

    移ろわぬもの
    それは 内にある
    ただ心の内側にだけ‥‥

    外に映し出された
    浮き世の 人や組織や出来事や
    それら すべての幻から目覚め

    一切の仮面を取りはずし
    わたしがわたし自身であり
    あなたがあなた自身であること

    花が花であり
    風が風であるがごとくに‥‥

    それ以外の道
    目指すべき何かが
    あるのだろうか?

    真理
    それは
    自分自身を知り
    自分自身であること

    すべては
    そこに帰結する


    自分自身であること
    常に‥‥

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    必要?

    必要という言葉‥‥

    必要か不必要か
    無意識のうちにも
    人はどこかでそのことを判断しているように思えます

    うれしいことは必要
    かなしいことは不必要

    楽しいことは必要
    苦しいことは不必要

    勝ちは必要
    負けは不必要

    総じて
    いいことは必要
    わるいことは不必要
    という具合に‥‥

    不必要なことが存在し得るでしょうか?
    必要のないことが勝手に生じ得るのでしょうか?

     ‥‥宇宙の存在を支える因果律‥‥

    問い直してみます

    不必要なことでしょうか?
    わたしが今こうして在るのは‥‥

    必要なかったのでしょうか?
    あなたが生まれてきたのは‥‥

    いかに見ようとも
    また見えようとも

    必要なことだけが生じ得ます
    すべて‥‥

    時に この問いかけは 必要?
    それとも‥‥



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    3月9日

    わしら
    たとえば
    ニワトリは
    コケコッコーと
    朝を告げ

    ウグイスは
    ホーホケキョと
    春を告げてきた

    カラスはカー
    スズメはチチッと
    思い思いに鳴いて

    これまで
    何の問題もなく
    楽しく過ごしてきた

    カッコウも
    カッコーと鳴くだけで
    格好なんぞ気にせんかった‥‥

    そんなわしらを
    あんたらは
    一語しか知らんやから
    言語能力幼児以下の白痴的やから
    くらいに内心思うとるのじゃろうが

    わしらからすればあんたらは

    やれ自由だ平等だ
    やれ平和だ反戦だ

    なんだかんだと
    あっちでもこっちでも
    難しい言葉を並べたてては
    叫んだり怒鳴り散らしたりして
    悶着引き起こして騒々しいだけじゃ

    なんとかならんのかね?

    わしらのように
    何事に対しても
    コレケッコー(是結構)
    のひと鳴きであいすまし

    イツモシズカニワラッテイル
    という風にはいかんものかね?

    それはムリ?
    やはりな‥‥

    ならば
    せめて3月9日を
    39の日と制定し
    感謝の一日とする

    その日は何があったとしても
    たとえ足を踏まれたとあっても
    ただサンキューとしか言わない
    いや言えない‥‥

    そういうのはどうかね?

    そうすればわしらが
    一語しか知らぬ意味
    いや必要とせぬ訳が
    きっとわかるはずじゃ‥‥

    ウソついてもかまわん日なんぞ制定するよりは
    よっぽど健全で建設的じゃとは思わんかね‥‥

    して
    ときには
    わしらの鳴き声に
    無心に耳傾けてみてはどうじゃ‥‥

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    演奏と音色

    演奏の味わい
    要素その1 「強弱」
    (音の大きさとそのゆらぎ)

    たとえば
    ベートーベンのシンフォニー

    「第五」の冒頭をピアノ(弱音)で演奏することはあり得ないし
    「第九」の冒頭をフォルテ(強音)で演奏することもあり得まい

    凱歌を(ちーさく)ピアノで演奏したならば
    あるいは祈りを(おーきく)フォルテで‥‥

    パイプオルガンの泣き所のこの「強弱」の味わい
    シュバイツアーは「緩急」でその壁を乗り越えた
    否 そうするしか手がなかったと観るべきか‥‥

    演奏の味わい
    要素その2 「緩急」
    (演奏の速さとそのゆらぎ)

    たとえば
    モーツアルトの「40番」冒頭をゆるりと演奏することはあり得ないし
    シューベルトの「未完成」冒頭をさっさと演奏することも又あり得まい

    怒りを(おそーく)レントで演奏したならば 
    あるいはアリアを(超速く)プレストで‥‥ 

    曲の速さとそのゆらぎは
    たとえばショパンの場合
    テンポルバート(テンポのゆれ)そのものが作風と結びついて
    他の作曲家とは多少いや決定的に違った意味を持つ事となった
    「テンポのゆれ無くば曲にあらず 我にあらず」といった具合‥‥

    「左手に悟られないように右手の速度を微妙に変える」という
    モーツアルト特有のあの極めてデリケートな感性とはまた別の‥‥

    さて
    演奏の味わいの要素
    「強弱」と「緩急」

    そのふたつに命を吹き込むものが
    要素その3 「音色」である‥‥

    先のベートーベンの「第五」
    冒頭のあの運命の動機の響きが
    弦ではなく管であったとしたら?

    金管なら「パパパパー」であり
    木管なら「ピピピピー」となり
    「ジャジャジャジャーン」とは決してならない

    管楽器の音色の役割ないし限界というものがそこにある
    音色の役割はあなどれない 時として決定的ですらある
    響きそのものが有する何ものか それは確かに存在する‥‥

    モーツアルト「40番」の冒頭は
    やはり弦(チェロではなくバイオリン)それ以外の音色は考えにくかろう
    メロディーそのもののもつ漂うような情感(哀愁をおびた不安定な情感)は
    金管ではまず無理だし 木管でも 弦特有のデリケートさは伝わるまい‥‥
    (フルトヴェングラー指揮「40番」冒頭の上昇ポルタメントのあの妙味‥‥ )

    シューベルトの「未完成」はどうか?
    冒頭の弦の役割は 「第五」の冒頭の場合とほとんど同じ
    地上特有の陰りを 片やドンと出し 片やジワリと出した‥‥

    間もなく静かな弦の音を背景に浮かび上がる管のメロディー
    オーボエとフルートのユニゾン(いわばカクテル)の響きは
    ひとたび聴けばそれ以外の音色はほとんど考えられないほど‥‥

    音色はあなどれない いや時として決定的ですらある‥‥

    たとえばモーツアルトのクラリネット協奏曲(二楽章)
    クラリネット以外の音色が考えられるであろうか?
    金管は言わずもがな フルートやバイオリンでさえ
    あたかも炭酸のぬけたコーラのように虚ろであろう‥‥

    きわめて大ざっぱにではあるが
    演奏の味わいである三つの要素
    「大きさ」「速さ」「音色」を観てみた

    演奏に期待される表情の豊かさ
    「強弱」の表情の豊かさ
    「緩急」の表情の豊かさ
    「音色」の表情の豊かさ‥‥

    くり返すが この三種の要素は対等の関係にはない
    「強弱」「緩急」の要素は対等とみなし得ても
    「音色」はこの二つの要素とは異なる内面的な要素(役割)を担っている

    「強弱」「緩急」が理想的ないし完璧であったとしても
    「音色」が例えば爆音や悲鳴のようなものであったなら‥‥
    そう考えれば もはや多言を要しまい‥‥

    「強弱・緩急に命を吹き込むものが音色である」という先の言葉は
    「強弱・緩急は音色の表現手段にすぎない」と言い直す事もできる

    つまり音「音色」の在り様が「強弱」ないし「緩急」を伴っているのであり
    「音色」が無ければ「強弱」も「緩急」も存在のしようがない訳である‥‥

    始めに音(音色・響き)ありき‥‥
    他はすべて 後から従い来たる‥‥

    演奏に期待される表情の豊かさ
    「強弱」や「緩急」のそれが
    「音色」のそれを越えることはあり得まい‥‥

    「量」が「質」を超える事は
    あり得ぬ話であろうから‥‥

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    画家(9.25)

    画家の友人から、昨日、高島野十郎という無名の画家のことを教えてもらいました。
    生涯独身の孤高の画家であるらしく、日誌に次のような文章を残しておられるとのこと。

    「生まれた時から散々に染め込まれた思想、習慣を洗い落とすほど写実は深くなる。
    写実の追求とは何もかも洗い落として生まれる前の裸になることである。」

    また、亡くなる前には次のような和歌を残されておられるようです。

    「花も散り 世はこともなく ひたすらに ただ赤々と 陽は照りてあり」

    インターネットで何点か作品を見ることができましたが、確かにすごい‥‥。
    画家の探求心、求道心‥‥。行き着くところは、やはりひとつだな、と‥‥。

    そして、私の大学時代を思い出しました。
    入学間もない頃、21才の時です。
    教養科目の美術の講義を聴き終えた直後でした。
    画家あるいは絵というものへの胸の高鳴りから、
    何か書きたくなって、手帳に一気に書きました。

    次のようなものです。

    「ともよ」と題したようです。



     ともよ

    ともよ
    快楽は一時だが 芸術は永遠である

    描かずにおれぬ者の
    逞しき姿勢よ 男らしきすがたよ

    眼耳鼻舌身意
    それら煩悩の根源とはいえ‥‥
    宇宙意志の洗礼を受けるとき
    それは必ず光と化す
    煩悩即菩提
    然り その通りではないか
    苦悩の中ならではいかなる芸術も生まれ得ない
    見よ 彼等が涙の中(うち)のまことの光を
    彼等はまことの瞳をもっている

    ぼくは感じる
    これからの宗教は芸術であることを!
    そしてそれは
    宇宙創生期以来そうであったのだ
    宗教を知らない芸術家があり得ないように
    芸術を知らない宗教家はあり得ない
    それらは同一物の異なる二つの表現である
    たとい禅者といえども
    音楽や美術を極めた例は少ない
    いや 私は知らない
    彼等は
    それらを極め花咲かせて
    我らの眼前に提供することをしなかった
    いや しえなかった
    彼等は 詩のみを与えただけだ‥‥

    友よ
    我等は進もう
    彼等をのりこえて
    大胆な言い方だが しかし
    来たる者のために
    また宇宙の栄光を感じる者として
    我等はその一歩を踏み出そう
    それはいつか
    きっと花開くであろうから‥‥

    その願いは忘れまい
    否 忘れてはならないのだ

    宇宙の栄光は
    いたるところにひそんでいる
    否 露堂々でさえあるのだ
    友よ それらを歌え!
    描けよ!
    踊れよ!

    眼耳鼻舌身意は
    神の栄光そのものである
    我等は
    宇宙の光を見
    宇宙の響きを聴き
    宇宙の香りをにおい
    宇宙の味をあじわい
    宇宙の動きを感じ
    宇宙の知恵を思う
    それらは
    我々に与えられた神の栄光なのだ

    それらを完全に享受すべく
    我等は努める

    そのための苦悩がなんだろう
    我々はまた 苦悩が
    安らぎに満ちたものであることを知っている
    それもまた 神の慈悲なのだ

    我々は慎ましく進もう
    その中(うち)に熱と力とを秘めて‥‥

    友よ 我々は語り合おう
    未来の宗教を 又芸術を
    来たるべき世界は だれでもない
    我等自身が創り出すのだ

    君も一端の美術者たれ!
    君も一端の音楽者たれ!
    君も一端の調香者たれ!
    君も一端の調理者たれ!
    君も一端の運動者たれ!
    君も一端の詩人たれ!科学者たれ!

    おお 神よ!
    御身に想いを向ける者に栄光あれ!

     我ハ今唯ニ
     静カニ眼ヲ閉ジ
     御身ニ合掌シ奉ル

    svaha
    僧莎訶‥‥

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    コーヒーいかが?

    「高価なおいしいコーヒー買ってきました、いかがですか?
    ケーキもあります!どうぞいらして下さい!」
    ひさしぶりの、Iさんからの電話。

    おいしいコーヒー‥‥、しかもケーキ付き!
    「い、行きまーす!」と、とある新事務所へまっしぐら。

    話にたがわぬコーヒーとケーキ。
    「愛情たっぷりのコーヒーです!
    おかわりは何杯でもOKですからね!」と、Sさん。

    ルンルン気分でケーキパクパク、コーヒーゴクンゴクン。
    フーと、一息入れた頃、「この絵本、読んでみて下さい。」
    書名は、マックス・ルケード作「たいせつなきみ」

    ぱらぱらっと一応目を通すと、
    「実はお願いがあるんです‥‥。」と、
    表情がすこーし改まったような‥‥。

    この絵本の心をテーマにしたような、
    私達「ちいろば会」の歌が欲しいんです、
    ぜひ先生の作詩作曲でお願い致しまーす!
    ときたもんだ。

    な、なんと、作詩作曲? しかも、
    来月12日の開所式に発表したい?
    ひ、ひと月もないじゃないか!

    ハハハー!となぜか思わず笑ってしまった私。
    コーヒー&ケーキの甘い罠‥‥、‥‥不覚!

    「これお土産です、頂き物ですが」と、
    手渡されたものは、滋養強壮チオビタドリンク2本。
    「日本人だから2本なのですか?」と笑いながら私。
    「徹夜した時のために、どうぞ。」と笑いながらIさん。

    「ま、温めてはみますから‥‥。」と、
    なんとかなるかもしれんし、
    なんとかならんかもしれん、
    そんなかるーい気持ちでバイバイしたのだが‥‥。

    翌朝、詩の輪郭成る!
    ウム、いけるかも。
    三日後、推敲完成!
    ムム、後は曲のみ。

    一週間後の昨日、Iさんからひょっこり電話が、
    「お時間のある時に遊びにいらして下さい。」と。
    「詩はできました。」と伝えて、外へ出る。
    お魚買いに行く途中、メロディーが湧いた!

    本日、一応めでたく伴奏も仕上がった次第‥‥。
    明日、「ちいろば会」事務所へ届ける予定‥‥。
    とはいえ、コーヒーいかが?には、ご用心‥‥。


      歌詩を下へ。

      特定非営利活動法人「ちいろば会」の歌

      ゴールはひとつ

    すべての道は たどりつく
    たったひとつの いただきに

    道はいろいろ あるけれど
    わたしはわたしの 道をゆく

    うきよの道を ひたすらに
    あなたはあなたの 道をゆく

    花はただ花 風は風
    自然は自分を 生きている

    かけがえのない その役を
    ただあるがまま 演じてる

    ともに歩もう それぞれの
    かけがえのない その道を

    ともに手をとり ひびきあい
    おなじひとつの いただきへ

    ゴールはひとつ ただひとつ
    いのちはひとつ ただひとつ

    「ゴールはひとつ」試聴する

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    夜明けの小鳥

    長く深い闇夜が去り‥‥

    白々と夜が明ける頃
    庭に小鳥の鳴き声が‥‥

    寝床でじっと耳をすます‥‥

    なんという慎ましさ‥‥
    なんという愛らしさ‥‥

    ふと思う

    いばるでもなく
    さけぶでもなく

    小さな声で
    はっきりと

    歌を
    歌を歌っている‥‥

    絶叫でもなく
    説教でもない
    しずかな朝のしらべ‥‥

    ああ
    そのような
    あるがままの歌でありたい‥‥
    およそ口から出るものみな‥‥

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    しあわせ

    しあわせ‥‥

    人は
    まねる
    ひびき
    ひかり
    うごきを

    人は
    やりたがる
    たのしいこと
    すばらしいこと
    こころおどることを

    だれもみな
    人の手になるお手本に始まり
    おしまい
    神の手になる自然に行き着く

    もとめるさきに
    しぜんがある

    ゆきつくさきに
    かみがいる

     ‥‥しあわせや しぜんにそまる ゆめごころ‥‥

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    落とし子

    過去はみなおなじ
    昨日も一億年前も

    今の残骸が
    絶えることなく流れていく
    川のように‥‥

    歓喜も苦悩も
    過ぎれば
    残骸にすぎない
    今は亡き‥‥


    いかに在るのか 人は‥‥

    地球を舞台に
    無数のドラマが演じられてきた
    無数の悲劇・無数の喜劇が‥‥

    今なお 人は
    そのドラマを演じ続けている
    自分を主人公に仕立てて‥‥

    主人公‥‥
    ああだがしかし‥‥

    すべてのドラマ
    すべての主人公を
    ただじっと
    しずかにみつめつづける
    あるもの‥‥

    それでありはしないのか?
    わたしそしてあなたとは‥‥


       ‥‥しづけさの 落とし子人は 落ち葉舞ふ‥‥

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    建国記念日

    笛を吹いておりました
    舟に揺られるように
    笛の音に揺れながら‥‥

    一息つくと
    静けさが広がりました‥‥

    風が
    カーテンを揺らしたり
    庭の梢を揺らしたり‥‥

    遠くの犬の鳴き声や
    時折かすかな車の音‥‥

    静けさは広がりを生むのでしょうか?

    ずっと向こうに海や山の気配がただよい
    そのまた向こうに星々の気配もただよい

    いつしか時空はどんどん広がって
    なんだか夢のようにまどろむかのよう‥‥

    夢なのでしょうか?
    すべては‥‥

    静かな閑かな
    建国記念日の
    昼下がり‥‥

    笛の音にゆられ
    笛の音にいこう‥‥

    しずかな
    ひととき

    今‥‥

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    今は昔

    今は昔
    私が教師だった頃の話

    ある日
    おしゃべりに夢中なA君の姿があった
    私の話が聞き取りにくくなったと思われた頃
    やむなく注意することにした

    「B君もおしゃべりしている」と返ってきた

    「その隣の隣の隣の隣のGさんはどうだ?」と私

    彼は詰まってしまった
    真剣な姿をそこにみつけてしまったから‥‥

    どこにでもある学校の授業風景
    小さな空間の一コマ‥‥

    しかしそれは
    社会の一コマ
    世界の縮図でもあろう

    その人の目にするものこそが
    その人に影響を与えるということの‥‥

    何を見
    何を友とするか?

    人生を決めるのは
    ただそれだけ‥‥

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    ひとり木陰にて

    人は
    知らないもの
    知らないことを考えることはできない

    それゆえ
    人の精神世界は
    その人固有の限定されたものと言える

    宗教であれ思想であれ
    その他何であれ
    人はその人固有の理解を基盤に生きている

    固有の理解から
    様々の
    無数の
    無限の見解が生まれることとなる

    その見解とは
    ひとつの結論
    思考されうるもの そして
    思考されたものに他ならない

    思考されたもの
    あるいは思考は
    それ自身で実体を有するものではない
    一言で言えば概念にすぎない

    概念 つまり
    それは何であれ
    高尚低俗を問わず
    それは単なる過去の記憶‥‥

    人は思考する存在である
    デカルトは哲学の基盤にそのことを据えた

    思考
    過去も未来も
    思考を通さずには存在し得ない

    未来は つまり
    思考のフィルターを通して眺めた
    過去の残骸にすぎぬことを
    クリシュナムルティは
    暴いてみせた‥‥

    哲学を根底から揺るがす
    新時代の英知の使者が登場した‥‥


    さて 時に
    思考を越えた
    永遠の実在に
    問題はあり得ない

    問題があるのは
    個々人の精神世界の中
    意識の中である

    何か問題があると考える
    人の意識の在り様こそが
    実は
    ただひとつの問題
    ただひとつの課題‥‥

    思考の本質を見極めること
    思考の限界を悟ること

    思考世界の領域からの開放・解脱‥‥

    あらゆる問題
    戦争や貧困
    その他多種多様な危機への
    根本的な解決策は

    その真の原因を見抜くことなくしては
    ありえまい‥‥

    希望にすがっている限り
    真の平和は実現し得ない
    それは常に未来に属し続けている

    希望
    それがいかに心地よい響きを伴うにせよ
    それは 不満の投影であり
    満たされぬ思考の産物にすぎない‥‥

    考えてもみよ
    人類は
    常に希望を掲げて生きて来はしなかったか?
    無数の 多種多様な希望を高く掲げ続けて!

    はっきり言ってしまえば けだし
    希望を抱かぬ者など一人もいはしなかった
    希望を抱かずに生きれる者など一人もいなかったに違いない‥‥

    しかし
    希望は ついに
    希望そのものではない
    命そのものでは‥‥

    神こそは最終の希望と信じ
    平気で人を殺す者が現に今もいる
    その一方で
    宗教はアヘンと毛嫌いし
    他の手段に訴える者もいる

    いずれも
    みずからの信念
    みずからの判断でそう在ることに違いはない

    信念を変え判断を変え
    ここかしことさまよい続けるのであろうか
    永遠に‥‥

    舟の中の居場所を変えたところで
    どうなるものでもあるまい

    自我の舟から降りて
    別の新しい舟に
    乗り換えねばばならぬのではないのか

    観念 思考という
    その妄想の舟から降りて‥‥

    永遠の実在は
    人の思考の中に存在する一切のものとは無縁である

    希望というビジョン
    概念・観念は
    実体のない抜け殻
    死体にすぎぬと悟らぬ限り

    つまり
    自らの精神世界を構築しているものを
    まるごと捨てぬ限り
    新たなるあるものは現前しない
    し得ない

    思考の領域を見切らぬ限り
    命の領域に入ることは不可能である

    人の命は
    一切の思考を超えて
    常に
    永遠に

    ここに
    在る

    過去未来とは無縁の座に
    常に
    今ここに
    在り続ける

    ここかしこ
    宇宙の果て
    すべての場は
    「今ここの」座‥‥

    人は
    思考せぬ限りは
    実在の中に在る

    思考の終わりこそ
    真の瞑想の始まり‥‥

    瞑想とは意識の集中ではない
    様々なビジョンを思い描くことでもない

    それは単に自我の変容に過ぎない

    すべての自我が消滅した時こそ
    無我 永遠なるあるものは現れる

    つまり
    自己実現とは
    自己放棄に他ならない

    有限にしがみつく限り
    無限に触れることは有り得まい‥‥

    善悪の木の実は
    区分し判断する精神世界
    思考の世界を生み出した

    判断こそが
    実はすべての混乱苦悩の元凶であることを隠して‥‥

    周りを見渡しても見よ
    私こそは最高のものを知ったと思い込み
    誇らしげに他にも語り
    また強引に勧誘する者さえいる‥‥

    それこそが混乱の元凶であることを悟らずに!

    思考を超えた宇宙の実在の前に
    人の力など無にひとしい!

    自然をあるがままに観よ!
    すべての答はそこに在る
    そして一人ひとりの心の中に

    真理は
    聖書や仏典の中にある訳ではない
    ましてや他の書籍の中に等あろうはずもあるまい
    そこにあるのは概念であり
    命の抜け殻にすぎない

    つまり
    解ったつもりにさせるものしか
    そこには存在しない

    人類が真に生き始めるのは
    すべての書籍が消滅した時であろうか

    頼りとなる一切のものが失われれば
    人は自らの足で立たざるを得ぬであろうから

    たとえ何であろうと
    他にたよることなく
    みずからの内なる声に
    静かに耳を澄ませることによってのみ

    人は ついに
    知らないこと
    知らないものと出会う

    限定されたものでない
    未知の領域
    命の領域に溶け込む‥‥

    内なる静けさ
    聖なる静けさの中に

    すべての問いへの 答の源
    無限の英知は待機している

    無私の静けさ
    その中に‥‥

    今‥‥

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    I am

    生まれ変わりて 死に変わり
    死に変わりて 生まれ変わり‥‥

    輪廻転生
    数千数万年前の記憶
    数億数兆年前の記憶

    しかしそれが何であろう
    たとえそれがいかに膨大であろうとも
    無限の前に
    それはついに無に等しい‥‥

    特定された時
    限定された時間にではなく
    はるかな時を超えて

    常に我は在り
    常に我は在った

    I am that I am‥‥

    I am‥‥
    それは時を超えて在るということ

    過去・現在・未来は時間であり
    実在そのものではない

    今を爆破せよ!

    今が溶け去り
    今が消え去る
    その時こそ
    新たなる今
    永遠の今は
    そのヴェールを脱ぐ

    そのことを
    言葉で伝えることは
    ついに不可能‥‥

    心の内側の未知なるものは
    有限の言葉をもってしては
    捉えることも伝えることも
    決してできはしない‥‥

    それは ただ単に
    知られるためにではなく
    説明されるためにではなく

    けだし それは 
    体現されるためにある‥‥

    【戻る】


    知らないこと

    知らないことを
    伝えることはできない

    誰しも
    人は皆
    みずから知ったこと
    知りえたことのみを
    伝えることができる

    それゆえ
    何を伝えているかを見れば
    その人がわかる

    金儲け
    アート
    思想

    なんであれ
    のぞき見れば
    それが何であるかは
    誰しも
    おおよその見当はつく

    万人に共通のことか
    そうでないか

    この世限りのことか
    永久の命のことかも‥‥

    伝えずにおれぬこと
    その中身‥‥

    あなたにあって
    それは
    何ですか?

    【戻る】


    まっさらな一日

    一日はまっさらな一日としてただそこに存在する
    人は思い思いに染めあげてきた
    その一日を 赤や青や黄色に‥‥

    人類の歴史が
    いかに多種多彩に見えようとも
    無限のその在り様の前には
    それはほんのささやかなもの
    ほとんど無に等しいものにすぎない

    まっさらな一日を
    いかに生きるか
    ものまねでなく‥‥

    心の内からわき出る
    澄みきった思い
    ピュアななにものか‥‥

    それこそは
    一人ひとりに
    ひとしく宿る
    光の種

    永遠なるなにものか‥‥

    不滅の
    わたし自身 そして
    あなた自身‥‥

    外側の何かにすがっている限り
    内側の出番は永遠にありえまい‥‥

    内側の光こそが
    外側を照らす光

    一切を収めた光の種は
    飛び出したがっている
    内側から外側へと‥‥

    無限の可能性の場
    手つかずの領域

    まっさらな一日へと‥‥

    【戻る】


    素の音

    だれもいない
    自然の中に
    ただひとり立つ

    しずかに目をとじる
    音が聴こえてくる‥‥

    それは何の音だろうか

    波の音だろうか
    鳥の鳴き声だろうか
    風の音だろうか

    その音とは何だろうか‥‥

    じっと耳を澄ませる
    じっと‥‥

    人はついに悟る
    それは神の声であることを

     ‥‥音は神なり‥‥

    そう 音は神のあいさつ

     お帰り‥‥
     おつかれさま
     旅はどうでしたか‥‥

     さあ お休みなさい
     しずかに憩いなさい

     安らいで‥‥
     あるがままに‥‥
     いつまでも‥‥

    澄んだまどろみの中で
    人は知る

    耳は
    神を見る目であったことを‥‥

    耳が
    その奥で求めているもの

    それは 
    何ものにも染まらない
    素の音
    人とは無縁の
    手付かずの
    素の音

    素の音を知らずに
    音楽が語れるのだろうか?
    楽器やら音色やら演奏やらを‥‥

    カナイ笛
    わたしの笛の目当ては

    素の音

    ただ
    それだけ‥‥

    【戻る】


    ライフハーモニー

    人は降り立つ
    ある星の
    ある時
    ある所に‥‥

    何を夢みて
    降り立ったろうか?
    人は
    わたしそしてあなたは‥‥

    様々な自己実現を
    夢みたろうか?
    オリンピック選手や
    世紀のアーティストや
    はたまた空前絶後の恋とやらを‥‥

    それとも
    時代を夢みたろうか?
    日本の幕末のような時代
    イタリアのルネッサンス期や
    宗教の開祖誕生の時や
    またムーやアトランティス時代
    さらには遙かな銀河の黄金時代といった
    そんな胸躍る時代を夢みて
    この青い星に降り立ったろうか?

    ‥‥そして
    どうだろうか
    共に降り立った
    この星
    わたしたちの地球は
    今‥‥

    あなたの目に
    この星は
    どのように映っているのだろう?
    この時代が
    どのように映っているのだろう?

    あなたは
    どのような情報に出会ったろうか?
    時代を繙くカギを握るどのような情報に‥‥

    「とてつもない時代の到来」
    幼き日の
    わたしへの三度の啓示‥‥

    けだしわたしは
    時代を夢みて
    この星に降り立ったに相違ない

    いわば「時を告げる笛吹」を夢みて‥‥

    わたしは
    還暦を迎えたこの春
    新たな一歩を踏み出すことにした

    無私の一歩
    静観者としての一歩を‥‥

    「ライフハーモニー」
    人生そして命のハーモニー

    それを見据えて‥‥

    【戻る】


    朝(あした)の和歌(うた)

    昭和の日の朝(あした)
    床にて詠める和歌(うた)四首


    寄せ返す 波ぞ心は 
     寄する波 打ち捨て 往(ゆ)かむ
      返す波にて

    打ち捨てば
     苦楽 悟りも なかりけり
      夢消え果てて 空晴れ渡る

    眠れよや 眠れねむれよ ねむれよや
      人寝(い)ねてこそ 神し覚むれば

    眠れよや 眠れねむれよ ねむれよや
     「寝よとの鐘」か わが笛の音は

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    こどもの日に その1

    子供と大人のちがい
    それは何だろうか?

    大人は
    平和やユートピアとやらを掲げて
    常に悪戦苦闘しており

    子供は
    そんなことはどうでもよいことで
    常に遊び回っている

    遊びに夢中でいられること
    それ以上の
    平和やユートピアがあるのだろうか?
    はたして‥‥

    平和
    ユートピア

    それは既に子供に実現し
    そして常に実現し続けてきたのではないだろうか?

    大人がただそれを壊し続けてきただけではないだろうか?
    それとは別の平和それとは別のユートピアがあるのだと
    実際にはありもしないそれを
    実現したためしもなく
    大人だけが勝手にそう思いこんでいるだけのそれを
    一方的に子供に言い聞かせてきたのではないだろうか?

    そして今なお
    大まじめに大人は
    かたくなに子供に言い聞かせ続けている

    今は楽しく遊んでいる場合ではないのだと
    やらねばならぬことが山ほどあるのだと‥‥

    あれもせねばならない
    これもせねばならないと‥‥

    遊ぶことはいつかできる
    今は遊んでいる場合ではないのだと‥‥

    ‥‥こうして
    子供は大人から
    遊ぶことをうばわれ

    いつしか
    りっぱな大人に成長するのだ‥‥

    実現したためしもない
    その平和やユートピアとやらを求めさせられて
    悪戦苦闘し

    ために悩み疲れ
    そのうち年老いて
    ついには
    お墓の中で
    その実現をみるのだ‥‥

    こう見てくると
    今や
    子供と大人のちがいは
    はっきりする!

    つまりは
    こういうことだ

    子供が大人に成長するということは
    天使がゾンビに成り果てることに他ならない!

    あわれ子供
    せめて
    トンビのごとく羽ばたいてほしいものを‥‥

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    こどもの日に その2

    幼子のひとみをうらぎってはいけない
    ふとそんな思いが湧いてきた
    子供たちのその澄んだまなざしを
    大人はうらぎってはいけない‥‥

    子供たちは問う
    なぜ人は死ぬのかと
    なぜ人は殺し合うのかと
    また死んだらどうなるのかと

    子供たちはたずねる
    神様っているの?
    人間って何?
    幸せって何?
    どう生きればいいの?

    その問いはまた
    大人のありし日の問い
    幼き日のその問いでありはしないのか?

    仕事やら暮らしとやらに追われ
    いつの間にかどこかに追いやられてしまった
    親として子にいつか答えてやるはずの
    その問いかけでありはしないのか?

    子供らは
    聞きたいのではないだろうか?
    親の答を

    聖書や仏典や何やらの
    そんなどこかの誰かの答なんかではなく
    自分を産み育ててくれ
    今現に生きて目の前にいる親の口から
    やさしく響きこぼれるその答こそを!

    こたえてあげたい!
    「いっしょに考えてみよう」
    と‥‥



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    大人と子供

    大人のものさしは偉いかどうか
    子供のものさしは楽しいかどうか

    大人はお金や肩書きに引き寄せられ
    子供は虫や小石に引き寄せられる

    大人はうらやましがり
    子供はふしぎがる

    大人は時々ため息をつき
    子供は時々意表をつく

    大人はいつも働いてばかりいて
    こどもはいつも遊んでばかりいる

    大人は人を石ころのように蹴ってどなり
    子供は石ころをボールのように蹴ってさけぶ

    大人はつらい苦しいと低くうめき
    子供はすごい楽しいと高くうたう

    大人は常に過去か未来に生き
    子供は常に今に生きる

    大人はつまり
    子供ではないと思っているだけの子供
    子供はじつは
    大人ではないと思っているだけの大人

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    在ること

    人は
    本来そうであるもの以外のなにものかになることは
    できない

    幾転生もの末に到達するのは
    その理解である

    すべては一体である
    すべては神とひとつである

    それこそが真理!

    いかなる教えといえども
    それ以上ではありえない

    人として最終的に行き着く教えは
    それのみ‥‥

    すべては神とひとつであること

    それは人の努力の成果ではない‥‥

    そしてあるがままということも‥‥

    それは
    気づきであり
    ただ与えられ
    受けとるだけ‥‥

    時代は今
    成ることから
    在ることへと
    移行している‥‥

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    おだやかな風

    ひとりがおだやかになれば
    おのずと周りはおだやかになる

    人がおだやかになれば
    おのずと世界はおだやかになる

    人は共鳴しあい
    世界は響きあう

    おだやかでありたい
    だから‥‥

    おだやかでいたい
    いつも‥‥

    自然は
    いつもおだやか

    樹々もこもれ陽も
    大地も海も星々も

    自然はみな
    いつもおだやか

    だから自然は
    いつもおだやかな友達

    おだやかな友の輪の
    おだやかなひろがり

    見かけが人と同じでない
    たったそれだけの理由ではなかったろうか?
    人が自然と友達になれなかったのは‥‥

    そして
    それこそは
    人類最大の過失ではなかったろうか‥‥

    ‥‥自然は友達
      命はひとつ‥‥

    おだやかな風が
    やっと
    吹き始めたようだ‥‥

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    次回(未定)

    未定

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