ご本人の了解を頂き紹介させて頂きました
末廣様(大阪)

「夏休閑話‥‥カナイ笛への想い」

2001年12月沖縄へ旅した。
首里城を下ったつきあたりの「青雲」という蕎麦屋さん(注:現在はありません)で昼食。そこで時間待ちに手にしたのがCD「沖縄のしらべ」のチラシだった。CDの絵が儀間比呂志の版画だったのに惹かれてなんとなく鞄に入れておいた。

帰阪して荷物の整理をしていると出てきたこのチラシ。自らを”ほろびずの笛吹童子”と名乗る(あやしげな?)男性のCDだった。
説明には自然が運んだ竹や捨てられた竹を笛として甦らせた’ほろびずの笛’の演奏活動を通し、使い捨ての文化ではなく、自然と響きあうほろびずの文化を提唱している。自ら考案した笛を「カナイ笛」と名づけた。竹ぼうきを笛にした「戦争ホーキ笛」も注目をあびた。カナイ笛独特の音色やゆらぎを与える奏法。夢は心に平和の灯をともすこと、八重山の子守唄「月ぬ美しゃ」を世界に発信すること。などなど。

読み終わって、この笛を吹いてみたいと思った。後先も考えず、メールを送った。ふっと思い起こせば、昔家にあった篠笛らしきものを吹いて酸欠で倒れそうになったんだ‥‥ムリだな‥‥しかし、すでにOKの返事が届いていた。

2002年7月、不安8期待2をもって沖縄へ。1週間のレッスンへ。
初めて見るカナイ笛、それはほんとに竹だった。節くれだった竹や海岸に流れ着いた朽ちかけた竹の笛。ところが、彼の息が吹き込まれると、そこからは、宇宙を思わせる広がりと不思議なゆらぎをもった音色が生まれる。自然、人の生き方、平和について話しながらまた、海や御嶽や森で自然と同化するような所でのレッスン。音色はともかく、なんとか1オクターブの音が出るようになった。

帰阪すると、そこはコンクリート・ジャングル。沖縄やふるさとの大山の自然を想いながら、孤独に吹いている。
ふとしたきっかけでカナイ笛とめぐりあったことに、出会いの不思議を感じる。そして、自然、人の生き方、平和‥‥カナイ笛の想いは今、私たちにとって大切にしたいものそのものだと思う。
思いながら、夏休みは去っていきました。(末)



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